このページは、「神戸事件の真相を究明する会」パンフレット第三集より転載しています。 「調書」は少年の取り調べを十分にしていない検事が一方的な筋書きに 安倍治夫弁護士は、もと検事(法務省刑事局付等)で、一九六七年に辞表を出して、弁護士となり 一、 とは、あまりにも話がうますぎる。だいたい、あれは七月五日からの検事調書となって いるけれども、勾留がついてからだと一週間(実働五日ぐらい、時間にして二十時間く らい)もない。そもそも、検事が調書を作るのは大変なことで時間がかかる。はじめに 人定事項などがあり、そのあとに生い立ち、家庭環境、犯行の動機、自供への経過な どが続き、それらを何度もメモを作ってまとめるのにも時間がかかる。ところがあれ は一足とびにそれらを省いて本論だけがスッキリと小説のようにキレイにウマクでき あがっている。筋書通りに作ったという印象だ。 ニ、 い重労働だ。靴のひもの話ひとつをとってもあんな器用なことは片手でやれること ではない。右手で首をしめて、左手で石を掘り起こしたり、靴ひもをといて、輪をつ くったりなどとてもできることじゃない。それにあんな長い時間格闘して殺している のであれば、人間はそのあとヘトヘトで歩けなくなるほど疲労困ぱいし、全身が泥、 血、汗まみれになるものだ、とても家にもどって正常な態度でいることなどできない。 母親がまず目つきの異常や服装の異変(乱れやよごれ)などに気づくはずだ。 三、 いうことは不可能だ。また、ビニール袋にたまった血を飲んだとされているが翌日 にもなれば地は固まっており、のどにつかえて飲みにくくなるはすだ。「金属性」の 味がしたというのもオカシイ。死体の鑑賞の話も残忍、冷酷で人間わざを超えてい る。万事不自然極まりなく、こんなことは、死体損傷の経験のない検事が想像を混 えて書いたとしか考えられぬ。 四、 その周辺の多くの具体的事実は無視できない。その場にいなければ分からないよ うなことが沢山入ってくるものなのだ。本当に少年が殺したのならば、あんな他人に 聞いたような話にはならない。この調書では殺害相手の反応も出てこない。本当に やったものは、我々がどうでもいいと思うようなことも、本人自身が細かく覚えている ものだ。そういう話がまったく出てこないのは、正しい取り調べを省力した調書だから だ。状況の具体性がまるでない。 五、 文章を書ける人間とは思えない。美辞麗句を追うだけで、弱いものの悩みや悲し みを深く洞察できない人間に良い文章を書けたためしはない。この点について は、小学生時代の作文だけでなく、中学一年、二年、三年になっての少年の作文 を国語の先生から提出してもらえばはっきりする。なぜそれがでてこないのか。 六、 上げるということは実際にあることなのだ。これまでもいろいろな事件がある。こ の事件では少年ではない違う大人の犯人が別にいると思う。 七、 解剖医の鑑定や少年の作文、国語教師の見解など具体的なところから事実を明 らかにしていくために、「行動」することだ。私も身体さえよければ、すぐにも神戸 に行きたい。 八、 ものではない。大人が少年の文章を真似るのは易しいが、子供は大人の文章を真 似るのは不可能に近い。少年の作文を「犯行声明」と較べると、筆跡、文体、発想、 論理があまりにもかけ離れている。 九、 春秋』の「調書」開示を少年法違反の人権侵害にあたるかを論争しているが、正 しくない。少年が、冤罪にはめられたとの前提に立ってみると、捜査情報の開示は 望ましい分量の千分の一にも達していない。デッチ上げは国民の目の届かない闇 室の中で行われている。 |