
| 弁護団(付添人団)の人たちへの手紙 |
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一市民としてのあなたへの手紙 |
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| 捜査に関わった人たちへの手紙 | 「少年A」この子を生んで・・・のゴーストライター 森下香枝さんと、編集者への手紙 |
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| 報道に携わった人たちへの手紙| |
| ≪弁護団(付添人団)の人たちへの手紙≫ 人々はあなた方に何を求めるのでしょうか。 何より自分を守ってくれることを、そして自分に成り代わって自分の言いたいことを主張してくれることを、です。 あなた方はそういった弱い立場の人々のために、その人たちを不正や不正義、不利益から守り、その人たちの訴えを主張するはずの方々です。特にまだ人として未熟な少年にとっては、唯一、彼らを救うこと・守ることのできる立場にあるのです。 今回、あなた方はその任を全うしたのでしょうか。 法的な判断とは、全てを事実に基づいてこそなされるべきもののはずです。今回は、その「事実」があったのでしょうか。少年の訴えにしっかりと耳を傾けたのでしょうか。彼の言葉を“心”で受け止めたのでしょうか。偏見や先入観を持つことなく、そして、自分の都合、自分の立場に左右されずに、彼と関わったと胸を張れるでしょうか。 しかしこれは、「そうして当然のこと」なのです。それがあなた方の「仕事」なのですから。そこまでやれて、ようやく職務を全うしたと言えるのです。 しかしながら、残念なことに、そして悲しいことに、あなた方の発言・行動等を追ってみると、全くそうではなかったことが分かります。御自身の言動を振り返れば否定することはできません。たとえ、今回の経過・結果とは異なる意見を持っていたにしても。表明されていることは、「彼が犯人であることを認めたこと」「事実関係について争わなかったこと」です。結局は、あなた方の手によって、彼が犯人であるという結論が下されてしまった、と言えるのです。 あなた方のなかに「本当にそうなのか」「ここがおかしい」「そうは思えない」という目を持っていた人がないはずがありません。少なくとも、「事実」を少しでも見ようとする意志のあった人はいたはずなのです。提示されている情報を細かに検討しなくとも、「専門家」であるあなた方には一読しただけで、あるいは雰囲気で、あるいは少年や周囲の者の言葉で、疑問や違和感は生ずるはずです。何も思わず、何も感じずに、ただ手続きを踏んで事件の決着を見た、というのでしょうか。 真実や事実に覆いをかけて、それを求めずして、あなた方は弁護士の仕事をしていると言えるのでしょうか。「彼のために」一体、何をしたのでしょうか。「彼の家族のために」どんな支えとなったのでしょうか。 本来やるべきことをやらなかったあなた方の罪は最も重いと思います。それでもこの先、「人のために」という心で働いていくことができるのでしょうか。それとも、「人のために」とは全くの建前で、「正義」や「真実」とは名ばかりのものなのでしょうか。 私たちは、もう一度あなた方の人としての「良心」、弁護士としての「責任」「使命感」に訴えます。勇気を出してください。事実と真実に立ち返ってください、と訴えます。 何人もの人がいて、誰一人声をあげることのできない、そんな状態があっていいものかどうか。 本当に弱い者、力を必要とする者、救いの手が必要な者とあなた方は実際に関わったのではありませんか。 やるべきことをやらなかったことの埋め合わせは、やりにくい状況を越えて貫いていくことでなされます。たとえ動きにくくとも、あなた方はそれをしなければならないはずです。弁護士である以前に、人として。事実や真実を握り潰してしまった者のひとりとしてのあがないを、今からぜひ始めてください。 「彼は本当は無実なのだ」という一言が、あなた方のなかから出てくることを祈っています。 |
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人々はあなた方に何を求めるのでしょうか。 それは、「真実を明らかにし、正義を貫きながら、自分たちを守ってくれること」です。そうしてくれるはずだと信じ、頼るのです。もちろんあなた方もそのために、それを目的として働いているはずです。 今回の事件を振り返った時、あなた方はそのように働いてくれたのか。正直申しまして、そこに、「間違いなくそうだった。」と断言できないものがあるのです。 「自分たちは連日、一生懸命やった」と胸を張って言うことのできる方々がたくさんいらっしゃるのは分かります。しかし、全ての方々が、果たして、同じように言葉に出せるのでしょうか。 私たちが求めるものは、「真実」です。 人々があなた方にいつも“期待”し続けていたはずの「真実」です。 残念ながら、あなた方が提示してくれたものには「真実」を見出すことはできません。正義を見ることもありません。それどころか、見えてくるのは「嘘」と「偽り」と「不正義」です。 私たちは断言します。あなた方が「犯人」とした少年は犯人ではない、と。当然のことながら、私たちは彼の無実を主張・証明するだけでなく、彼を救い出すつもりです。罪を犯していない者が、罪を背負わされ、自由を奪われ、その人間性を否定され続けているのを、放って置くことはできません。 一体誰が何のために、彼を「犯人」に仕立て上げたのでしょうか。たとえ全てを知らなくとも、その一端を知るものは、さらに多くいるでしょう。そして少なからず疑問を持った者を加えれば、「少年が犯人だ」と言い切れる者は、どれほどその数を減らすでしょう。 犯人に仕立て上げるためのいくつかの条件、それに該当してしまったことが、何よりも少年の悲劇のもとでした。ひとりの気弱な、しかし優しい子供が、残忍な殺人犯とされるには、それだけで十分でした。あとはいくらでも作り上げることができるからです。「偽り」によって、「事実であるかのようなこと」はいくらでも生み出され、人々の思い込み、先入観、噂をあおります。そこに一片の真実がなくても。 私たちは真実を求めます。しかし、加担してしまったあなた方を追い詰めようとしているのではありません。 それぞれの方々が、それぞれの立場故に置かれていた心の状況を、私たちは理解しています。 「本当はそうじゃない。」と知りつつ、命令・指示を出しつつも、自分のしていることの重さに苦しんだ人。しかし、何の疑問も感じずに指示に忠実だった人。それが正しいと信じるしかなかった人。――――あなた方の良心は、たとえ三年という時が経ても、いまだに痛みを覚えたままではないでしょうか。知りながら声を上げられなかった自分を、どんな気持ちで見るのでしょうか。同じ位の子を持つ人であるならば、彼と我が子を重ねてしまいはしないでしょうか。誰かが言ってくれたら、と願うことはないのでしょうか。このまま、この先言えない苦しさをずっと抱えていくことに恐怖を感じないのでしょうか。どうしてあんなことを、という憤りを抑えているのではないでしょうか。あなた方の心に真実や正義、良心がある限り、それらの苦しさは続くのです。偽りや不正は、時を経ても消えることはありません。それに加担してしまったことの罪もまた同様です。しかし、それは償うことのできるものでもあるのです。真実と正義、そして謝罪によってです。そしてそれを表に出すのは、何より「勇気」です。 誰もが口をつぐみ、真実を闇に葬ろうとしている今、勇気をもって口を開く人が一人でもいれば、きっと、同じ苦しさを持つ人たちはそこに集まることでしょう。なぜなら、誰であっても、嘘よりも真実を、不正より正義を求めるからです。ひとりの子供を罪に陥れ、それで平気でいられるはずなどないからです。その重さから救われたいからです。 あなた方が完璧・万能な人間だなどと私たちは思いません。弱さも不十分さも抱えた同じ人間だと思います。だからこそ、同じ「良心」を持っているのだと信じることができるのです。あれだけの事件の関わり、あのような結果があって、そこで何ら心を動かさなかった人がいるはずはない、と思います。 もちろん、筋書きを書いた人はいるはずですし、その人はその人として負わねばならない責任があります。 しかしそれも、「真実が明らかになってこそ」のことです。少年とその家族が救われるための第一歩は、本当のことが明るみに出てこそのことです。 あの事件と結果は、全国の人々の心に深い闇を作りました。衝撃と恐怖心、不信感とによって。その闇を振り払う光を、あなた方はその手に持っているのです。その“事の重大さ”に気づいてください。あなた方の一言が、多くの人にのしかかっている重石を打ち砕くのです。それほどの「希望」を持っているのです。そして同時に、その責任をも担っているのです。 嘘と偽りと作り事に加担したことの償いは、真実と正義によってなされると言いました。今こそそうして頂きたいのです。たとえ動機が、「自分の苦しさから逃れたい」というものであったとしても構いません。私たちはそれを、「真実」と「救済」のために、に変えていきます。そして実際に、少年も家族も、多くの人々も救っていくことができると確信します。 どうぞ、どなたかが、最初の一言を発してください。 あなたひとりがひどい目にあうことなど決してありません。勇気を出してください。 |
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人々はあなた方に何を求めるのでしょうか。 自分たちの知らないこと、本当のことを速やかに知らせてほしい、ということです。起きた事柄の原因を教えてほしいということです。確かな情報・真実を人々はあなた方に期待するのです。 さて、今回の事件において、あなた方はそういった期待に応え、あなた方の使命を十分に果たすことができたでしょうか。思い込み、先入観、噂に左右されず、真実に基づく確かな情報を伝えたと言うことができるでしょうか。他社を出し抜くことよりも、確実な検証・取材を、という姿勢を貫いたでしょうか。話題性のあるものなら何でも飛びつくようなことはしなかったでしょうか。 そして何より、少年の逮捕以前に自分たちが発信した情報について、どう考えるのでしょうか。彼の逮捕以降「彼が犯人」ということに何の疑問も持たなかったのでしょうか。 警察から得られるわずかばかりの情報のなかに、「確かに彼が犯人であること」を裏付けるものが、一体どれほどあったのでしょう。 ほとんどの人々は、あなた方の発する情報を鵜呑みにします。「新聞に書いてあったから」「ニュースで見たから」というのがその根拠なのです。発信源が、新聞社・放送局というだけで、見るもの聞くものが「事実」として受け入れられていく、その意味の大きさと恐さ、そして責任の重さを、あなた方は十分御存知のはずです。 自分たちの取材の姿勢、報道の姿勢は、果たして本来あるべき姿だったと自信を持って言えるでしょうか。 何の疑問も生じませんでしたか。 彼が犯人である、との確信があったのですか。 あったとすれば、何を根拠にしているのですか。 「彼は無実だ」と聞いて、あなた方はどう反応するのでしょうか。きめ細かく取材をした人ほど「やはり」という思いを強く持つはずです。警察からの発表に疑問を持った人ほど「やはり」と思うはずです。逮捕後に、事実を追おうとした人ほど「やはり」と思うはずです。 ジャーナリストとしての意識をしっかりと持つ人ほど強い胸の痛みを覚えているはずです。「真実を伝える」という使命に逆行してしまったあなた方の、不誠実さを思うからです。 たとえ一時見失ってしまったとしても、真実は変わることなくそこにあります。それから目をそらさずに再び見ようとするならば、一般の人以上に、あなた方は多くのことを見ることができるはずです。 あなた方の無責任な報道が、「気弱な優しい少年」を「残忍な殺人鬼」として作り上げてしまったことを、あなた方自身がよく分かっているはずです。報道された事柄、センセーショナルに取り上げられたエピソード、それは本当に「事実」でしたか。あなた方の伝えた事柄によって、人々は彼を冷酷残忍な人間として思い込みました。それは今でも変わりません。ひとり歩きした彼の虚像が、本当のこととして全国に浸透している、この責任の重さを思ってください。この先の彼と家族の人生は、今のままでは、壊され、奪われたままです。 無実の少年を犯人としたことの責任は、警察だけが負うのではないのです。あなた方もそれに関しては等しく負わねばならないほど、果たしてしまった役割は大きかったと言えるのです。 小さく訂正記事を載せる程度で済む話ではありません。 “報道合戦”と呼ばれるような状況を自分たちが作り出してしまったことから始まって、多くの人の心を踏みにじりながら、「偽り」や「不確かなこと」を「事実」として伝えてしまった、思い込ませてしまった。 これらのことをありのままに見るならば、自分たちの行為行動については、深い謝罪の意を表さずにはいられなくなるはずです。 あなた方は知っています。少年が犯人でないことを。 知りながら、もう、それを認めることができなくなっています。自分たちの過ちを、認め、詫び、訂正することができないからです。「事実」を伝えることが使命ならば、それを知った時には真っ先に「事実」に忠実になるべきでした。 しかし、今からでも「そうしよう」とすれば、あなた方は“いつでも”できます。あなた方自身にその意思と勇気さえあれば。いつそうするかは、あなた方それぞれが、「事実・真実」に対してどれくらい真摯なのかの違いのみです。 間違いなく人々の声は上がります。 抑えきれなくなってから、その声に従って自分たちの非をやっと認めるのか、それとも自ら進んで「真実」を求める動きを作り出していくのか。その選択はあなた方自身に委ねられています。 自分たちの持つ“力”の大きさを、それに恥じない使い方によって、人々のために役立ててください。それこそが「報道」に寄せる人々の期待に応えることなのです。 |
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この事件において、普通の人たちの果たしてしまった役割は大きい、と思います。直接関わったわけでないにしても、です。 事件が報道された時、あなたは大きなショックを受けました。残忍さに心が痛み、殺されたお子さんを可哀想に思い、御両親を気の毒に思い、犯人に対する憤りと恐怖心を抱いたはずです。日本中の人々が、あなたと同じ思いで日々を過ごしたでしょう。一刻も早い犯人逮捕を願い、一体どんな人物が犯人なのか、その話題は終わることなく続きました。 「少年が犯人」との報道で、さらに、事件に対する衝撃は増しました。「逮捕」に安心するとともに、「少年」に対する「興味」へと、あなた方の心は転じてしまったのです。どういう子なのか、どういう親がどう育てたのか、どうしてこんなことをしでかしたのか・・・。尽きることのないセンセーショナルな情報の渦に、あなた方は巻き込まれていきました。 「本当にそうなのか」「何かおかしい」「前の報道や証言はどうなったのか」という疑問を持つ間もなく。根も葉もない噂や思い込み、先入観、偏見によって、少年は「残忍な殺人鬼」にされました。何の関係もない事柄までもが事件と結び付けられていきました。溢れるような情報に流されず、「本当にそうなのか」という目を持ち続けることのできた人はどれほどいるのでしょう。新聞やニュースで見聞きしたことが全て事実として受け止められ、彼への思い込みがさらに強くなったのは本当です。否定的、批判的、攻撃的な視線が少年に集中し、それだけでなく彼の家族までもがその対象となりました。「そういう子を育てた親」として。 そういった目を向けたうちのひとりがあなたなのです。 冷静になって「事実」を追い、「実際にそんなことができるのか」という視点から見てみると、彼が犯人だなどとは、到底思えません。そういった目でさまざまな情報を手にすれば、そこに疑問や矛盾が見えるのです。そして、どうしても行き着くのは「彼は犯人ではない」という一点です。 ひたすら信じるしかなかった親の心情を思ってみてください。ある日突然、自分の全く知らない子供の姿を示されて、「それが我が子だ」と言われた時の親の狼狽を想像してください。 訴えようにも訴えられなかった少年の心を想像してください。自分の言葉に耳を貸す者がひとりもいず、恐怖のなかにいた子供が、強い口調の大人の言いなりになったとしても、何の不思議もありません。大の大人ですら「嘘の自白」をしてしまうのです。まして子供は、です。自分を守ってくれるはずの親には会えず、自分の訴えを代弁してくれるはずの弁護士も自分の無実を信じてはくれない。そのなかで、あなたは、自分の心を強く守ることが果たしてできるでしょうか。誰も助けてくれないなかにひとりいて、連日の取調べに耐え抜けますか。 「自分がやったと言っているのだから。」という納得は無意味です。過去にも同様にして幾人もの少年や大人が「犯人として自白」しているからです。 誰かが彼の無実を信じて声を上げなければ、彼はこのまま救われません。人生が終わったも同然なのです。彼を犯人として信じ込み、そういった目を向け続けたことは大きな間違いでした。彼とその家族をこの社会で生きられないようにしてしまったのは、ほかならぬ、一般の人々の視線だとも言えるのです。 彼を犯人に仕立て上げた警察、便乗して事実でないことまでも報道し続けたマスコミ、本来するべきことをしなかった弁護士。彼らには相応の責任が問われるでしょう。 そして今度こそ、少年とその家族に対して、深いいたわりと支援の眼差しを向けてください。彼らが、壊され、奪われた人生を取り戻すことができるとすれば、あなた方ひとりひとりの受容と共感の心によって、彼らが支えられていくしかないのです。 |
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≪「少年A」この子を生んで・・・のゴーストライター森下香枝さんと、編集者への手紙≫ あなた方は何のために、この本の出版に関わったのでしょうか。 「知らぬ間に殺人鬼と化していた子供を持つ親の告白」が、どうすればより商品として価値が高まるかを考えてのことなのでしょうか。 この本を出版することが、「少年は犯人であり、両親もそれを認めている」という世間の認識を補強し、さらには、いかに少年が冷たい人間かをもっと思い込ませることになるのだと分かった上での事だったのでしょうか。 あなたが「ジャーナリスト」を名乗っているのであれば、最低限守らねばならないことがあったはずです。 まずは、「事実」に基づいた記述をすること。あなたの記述には明らかに「事実」と異なる部分がいくつも見られます。「小説」を書くのではないことぐらい、あなたにも十分お分かりのはずです。そして、そこに書かれたことを、記者が「事実」としてそのまま受け入れることも承知のはずです。それが分かっていながら、事実でないことを事実として扱い、記してしまう「意図」はどこにあったのでしょう。それに加えて、「事実」に近くとも、表現上のテクニックによって、違った印象を読者に与えたり、何かを暗示したり。 あなただけでなく、共に仕事をした編集者の方々にも、その点は認識できているはずです。 あなた方は、傷つき、動転していた少年の両親の心を逆手にとって利用したのです。彼らの心情がより人々に伝わるように手助けするのならそれは多少表現に手を加えたとしても、許されることです。しかし、そうではなかった。自分たちのしたことは、「少年は犯人」という一般の人々の思い込みを定着させる手助けをしただけです。そこには良心や善意はおろか、真実すらありません。 あなた御自身は、事件について、一体どれほどのことを御存知なのでしょう。どのくらい資料を検討したのでしょう。「間違いなく少年が犯人だ」との確証あってこの仕事を引き受けたのでしょうか。 資料の検討が足りなかった、勉強不足だったというならば、ジャーナリストとしての資質が問われます。しかし、「彼が犯人ではない」、あるいは「犯人ではないかも知れない」と思いつつ仕事を引き受けたのであれば、人としての心が問われます。 編集者の方々にしても同様です。 拭えぬ先入観や思い込みを作り上げることに加担している自分たちを恥じて頂きたいと思います。 そして、あなた方の言いなりになるしかなかった少年の御両親には心からの謝罪をしなければなりません。彼らの心の痛みを利用し、そこで利益を得たことも含めて。 ペンによって作ってしまった罪はペンによって償って頂きたいと思います。自分たちのしたことについて、過ちを認めるとともに、自分たちの知り得た「事実」について明らかにすべきです。もしも「よく分からない」ならば、早急に調べなければなりません。(まさかそんなはずは、ないと思いますが)。本当はこう思う、こうであるはずだ、という見解を公に示して頂きたいと思います。 事実を歪め、事実に反することを書き連ねたことの埋め合わせを、真実を書くことでして頂きたいのです。 |