
無実の証明 |
この章では、検事面談調書を基に、事実や現実性、論理的整合性を検証する。調書からの引用部は太字で示し、「 」内はそのままの引用、“ ”内は要約である。
調書は、被疑者の供述を筆記したように書かれているが、実際はそうではない。取調官が「書く」ものなのだ。それは、この事件の調書に限ったことではない。
だからこの調書も、本当にA少年が供述したものなのか、あるいは取調官が「こうだったのだろう」と、一方的に押しつけた内容が書かれてあるのか、それは分からない。それが本当はどちらであったのかを検証していく。
(なお、流出した5月事件の調書は、当フォーラムのホームページに掲載しているので、参考にして頂きたい。)
主に5月24日のことについて
○A少年は、“アンテナ施設前でB君を倒し、馬乗りになったり、顔や頭を蹴ったり、殴ったりし、B君はうつ伏せになったり、あお向けになったりした”と、供述調書にはある。(ちなみに、この日は雨が降ったり止んだりの天候で、地面は濡れていたはず。)
しかし、「B君には抵抗した跡が全くない」と報道されていたし、B君の父親にも警察はそう説明し、B君の父親も実際に確認している。
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この状態でB君が抵抗しないはずがないし、その痕跡が全く残っていないはずもない。もしも何も抵抗しなくても、殺害現場の地面は、雨で周辺の土が流れ込み、粗い仕上げのコンクリートが見えるか見えないかという状況であり、この殺害方法ではB君の顔や足には、いくつもの傷がつくはず。もちろん衣服も泥まみれになるはず。
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遺体の実際の様子と調書の殺害状況とが決定的に矛盾する。
○A少年は、“馬乗りになって首を絞めてもB君がなかなか死なないので、ナイフで殺そうと思い、自分のジーパンのポケットを探した。この時、初めてナイフを持って来ていないことに気づいた。”と、調書にはある。
しかし、A少年のナイフは、全長24センチで、木製の柄とサヤのあるもの。それがあるかないか、“ジーパンのポケットを探して初めてないことに気づいた。”というのはおかしい。(その大きさのものをジーパンのポケットに入れて、自転車に乗ったり、誰かと格闘してみればすぐにわかる。)そもそもその日、A少年は“人を殺そう”と思って家を出たとされているのであり、指紋がつかないように、手袋まで準備していたとされるのに、この話が本当なら、ナイフの有無を意識していないはずはない。
○A少年は、“自分の左足の靴ヒモでB君を絞め殺そうと思った。右手で首を絞めつけながら、左手で手袋(黄緑色で内側にゴムの滑り止めの付いているもの)をつけたまま、運動靴のヒモを少しずつ解き、その靴ヒモを地面に置いて、左手で輪っかを作った。端を強く引っぱると結び目ができるように。そのヒモの輪っかにB君の頭を入れ、首のところにもって行って両手で力一杯引いて殺害した・・・。”という内容の供述がある。
しかし、当然暴れて抵抗しているはずのB君に馬乗りになりながら、また、手袋をつけた左手で、そんな器用なことができるのか。
また、手で首を絞められている間(A少年の腕が筋肉痛になる位の時間)も、靴ヒモで絞められている間も、B君は体を起こそうとはしていない。首を絞めている間、A少年の両手はふさがっており、A少年は14才としては小柄で(160cm強)できゃしゃな体つき。B君は体を起こそうとしたり、手で抵抗しなかったのだろうか。
○“しばらく絞め続けていると、その内、B君が呼吸している音が止まりました。それでも、B君が完全に死んだかどうか分からなかったので、B君の首を絞め付けたままの状態で、靴ヒモの多分左だったと思いますが、端をケーブルテレビアンテナ施設入口のフェンスであったか桟であったかまでは覚えていませんが、そのどちらかに結び付け、更にB君の首を締め付けました。”と調書にはある。しかし、入口のフェンスか桟か分からないはずはない。フェンスなら網が引っ張られて伸びるはず。そもそも、斜め上からヒモで絞めたことにしなければならなかったのは、B君の首に斜め後上からごく細いヒモ状のもので絞められた跡が一筋残っていたから。
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遺体の痕跡に後から合わせようとした不自然で非現実的な殺害状況。
○殺害現場とされる「タンク山」周辺の地理について、A少年は詳しいはずなのに“B君とどの道を通って「タンク山のアンテナ施設」へ行ったのか覚えていない”と供述調書には書かれている。
しかし、この日A少年はB君殺害後、万引きのために山を降り、B君の遺体を隠すために再びアンテナ施設へ登ったとされているが、“いずれも最初と同じ道を通った”と供述調書にはある。
最初に通った道を覚えていないのに、“最初と同じ道を通った”と言えるはずがない。
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通った道を特定すると、その時間帯にその道を通っていた人がいれば、「そんな少年は見なかった」と証言される可能性があるので、それを避けるためのものと推察できる。
○調書によるとA少年は、“B君殺害後、遺体をアンテナ施設局舎の床下に隠すことを思いつき、入口に掛かっている南京錠を壊そうと思った。そのために「糸ノコギリ」を準備し、同時に新しい南京錠をつけておこうと思った。” そして、それらを“「リビングセンター」で万引きするため”に山を降りる。
しかし、山を降りる道のことは前述したが、“山を降りた後、自転車に乗って「リビングセンター」まで、どの道を通ったかも覚えていない”と調書にはある。
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A少年を「見なかった」という証人を避けるための検事の工夫は続く。
○そしてA少年は、見事に“「糸ノコギリ」と南京錠(2個セット)を万引きして、アンテナ施設に戻った”と調書にはある。
しかし、実はA少年は「リビングセンター」で、友人たちと一緒に万引きしたことがあったらしく、店のガードマンに顔を覚えられていた。(万引きをしたことがあるから人殺しも、とならないのは当然です。偏見は禁物。)
そのA少年が、渾身の力を込めた大格闘の末、人を殺した直後、左足にはヒモのないガバガバの運動靴をはいて、袋も何も持たず「糸ノコギリ」と南京錠セットを万引きできると思い、また実際にそうできたのか。
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リビングセンターは万引き天国?(そんなはずはないでしょう)
○A少年は“「糸ノコギリ」で南京錠のツルを切断し、翌5月25日にはB君の遺体を切断した”と調書にはある。
“盗んだ糸ノコギリは、お示しの「写真8」と同じ形のものです。”と7月5日付調書において、確認している。 しかし、「糸ノコギリ」では、南京錠のツルはもちろん切れない。
7月6日の向畑ノ池の捜索で「発見」されたのは真新しい「金ノコギリ」だった。そして、7月17日付調書において、“今示された「金ノコギリ」は向畑ノ池から発見されたというものですが、僕がB君の首を切断するのに使ったノコギリに間違いありません。このノコギリのことを、僕は今まで「糸ノコギリ」と言って話してきました。”と、突然言い変えたことになっている。
A少年が本当に犯人であるならば、南京錠のツルを切断するための道具として万引きしてきたものは「金ノコギリ」に決まっており、呼び方はともかくとして、A少年は「金ノコギリ」の用途、形状については知っていたことになる。ならば「糸ノコギリ」の写真を見せられて、「これに間違いありません」とは言わない。もしもそう言ったとすれば、何も考えられない状態で取調べを受けていたからだ。
ではもしも「写真8」が「糸ノコギリ」ではなく実際は「金ノコギリ」だとしたら? A少年は「金ノコギリ」のことを「糸ノコギリ」と、その名称を思い違いしていただけになり、話の筋は何とか通る。いや、全く通らない。なぜなら、A少年が「糸ノコギリ」と供述したからこそ、取調官は「糸ノコギリ」の写真を準備したはずだから、「写真8」は「糸ノコギリ」に決っている。そうでなければおかしい。
「『糸ノコギリ』では南京錠のツルは切れないのだから、A少年の言う『糸ノコギリ』は、本当は『金ノコギリ』のことだ。」と、取調官が気づき、手廻しよく「金ノコギリ」を「写真8」としたのであれば、「この『糸ノコギリ』に間違いありません。」とA少年が確認した7月5日に、「君、これは本当は『金ノコギリ』というんだよ。君が思い違いをしているので、おじさんは気をきかせて『金ノコギリ』の写真を準備しておいたからね。どうだ親切だろう。」とか何とか言って、その場面でA少年に二種類のノコギリの呼び方を教えるはず。しかし、実際はその後も7月17日までA少年は、「糸ノコギリ」と言い続けたことになっている。
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思い違いをしていたのは、捜査官の方で、A少年は言われるままに全てを認める「イエスマン」にされてしまっていた。
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そもそも、A少年は事件とは何の関係もなく、取調べの恐怖から、全てにおいて言われるまま認めさせられていたのではないか。
○少し順が入れ替わるが、B君殺害の翌日、A少年は“切断した頭部を入れた黒いゴミ袋をぶら下げ、「糸ノコギリ」を補助カバンに入れ、補助カバンを折りたたんで服(トレーナー)の腹の部分に入れて山を降り、日曜日の住宅街(大捜査中の)を歩いた。”と調書にはある。
しかし、厚手の布製の補助カバンの大きさは、縦43センチ、横37センチ、幅(厚さ)10センチで上部にはファスナーもふたもない。「金ノコギリ」の長さは47センチであり、まっすぐに入れるとカバンからはみ出してしまう。対角線状に入れると、カバンも対角線状に折りたたまねばならず、それを腹部に入れると異様にカサ張る。(縦に折りたたんでも異様さはあまり変わらないが。)
やはり異様な格好にはなるが、糸ノコギリ(長さ30センチ位)ならそのまま入る。
○ノコギリについては“ノコの歯が細かったせいか(遺体は)スムーズに切れ・・・”と7月7日付調書にはある。
しかし、歯が細いのは、まぎれもなく「糸ノコギリ」であり、「金ノコギリ」の歯は薄くはあっても細くはない。
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調書を作成した検事が「糸ノコギリ」と「金ノコギリ」を思い違えたままストーリーを展開し、後で気づいて何とか辻褄を合わせようとしたが、ボロは隠せなかった。
○事件発覚後、“B君の運動靴の底には、タンク山の土は付着していなかった。別の場所で殺害された可能性が高い”と、ほとんどのマスコミが報道していた。
しかし、調書に書かれてあることが事実だとすれば、B君は雨上がりの未舗装のけもの道もA少年と一緒に歩いた後、アンテナ施設前でうつ伏せになったり、あお向けになったりして、殺害されたことになる。B君の靴底はもちろん、衣服も手足も現場の土や泥まみれにならないはずはない。
○A少年は「万引きしてきた糸ノコギリ(金ノコギリ?)で、施設の入口に取り付けてある南京錠のツルの部分を切りました。」と、調書にはある。
しかし、金ノコギリで切れば当然、金属粉が地面に落ちるが、そんなものは一切見つかっていない。さらに、切るときに、錠と取付部の金具とがこすれて、新しいキズが残るはず。もちろん、それも残ってはいない。それらのことから、当初はボルトクリッバーで切断したと考えられていた。
○金属粉やキズがないからこそ、「金ノコギリではなくボルトクリッパーで切断」とほぼ断定されていたのに、なぜ何の根拠もなく「金ノコギリ」になるのか。
向畑ノ池で発見された「金ノコギリ」が犯行に使われたという証拠はない。
○南京錠を切断した糸ノコギリ(金ノコギリ)で遺体を切断すればノコの刃についた金属粉が遺体の切断面に付着する。“洗った”とされる頭部はともかく胴体部からも発見されていない。
○「ところが、鉄の建物(局舎)と施設の入口との間にアンテナ(不使用の)が置いてあったため、B君の死体を局舎の床下に入れるには、そのアンテナが邪魔になりました。・・・・そのアンテナを向かって右の方にずらしました。」と調書にはある。
さらに、「B君の死体を局舎の床下に隠した僕は、アンテナを元に戻して・・・」とも。
しかし、放置されていた古いアンテナはかなりの大きさであり、ずらせば必ずその跡が地面に残るはず。しかし、そんなものも発見されてはいなかった。
○A少年は“糸ノコギリは落ち葉の下に隠し”“ツルを切った南京錠と、万引きした2個セットの南京錠のうちのひとつと、鍵等もジーパンのポケットに入れて持っていた”
手袋も翌日現場へ行く前にはめているので、この手袋もジーパンのポケットに入れていたことになる。そしてA少年は、待ち合わせ場所であるブック&ビデオショップへ行き、2時間近く友人たちと遊んでいる。
しかし、かなり大型の南京錠2個と鍵6本と軍手のような手袋をジーパンのポケットに入れると、相当に目立つはず。友人たちから何か聞かれた、という供述はない。それに左足の靴はヒモを抜いて、ガバガバのままだというのに。
○B君の胃の中には、昼食べたものがほとんどそのまま残っていた。(十二指腸には送られていない)という事実と、昼食の時刻から、家を出てから10分位の1時40分〜50分頃が死亡推定時刻だった。
しかし、B君が家を出た5分後にA少年と出会ったとしても、それからA少年は“「カメがタンク山にいるから、一緒に見に行こう」と話しかけ、B君は徒歩、A少年は自転車を押してタンク山ふもとまで歩き、一緒に山に登り、襲いかかり、倒し、筋肉痛が起こるまで手で首を絞め、殴り、蹴り、右効きのA少年が手袋をはめた左手で、B君を押さえつけたまま、靴のヒモを解いてはずし、輪っかを作り、B君の頭をその輪っかに通し、ヒモのねじれを直して再び絞めて殺害した”と、調書にはある。 その間、B君がじっとしているはずはなく、必死にのがれようとするB君を押えつけたまま、靴ヒモを解いて、輪っかを作るのも、短い靴ヒモの輪っかにB君の頭を通して首までおろしていくのも、至難の技。何度もやり直さねばならなかったはずで、どれくらい時間がかかるのかさえ見当がつかない。(とてもできるとは思えないから)
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いずれにしても、死亡推定時刻と全く合致しないのは確か。(食べたものは、そのまま胃のなかにあったのであり、腸での消化状態から死亡時刻を推定する場合よりも、推定時刻の誤差は当然少ない)
それにしてもB君に抵抗した跡がなく、衣服に土もついていなかったのだから、何が何だか分からなくなる。調書が虚構だ。とする以外に理解のしようがない。
○A少年は、B君と出会ってから万引きを含む全ての犯行を終え、現場からかなり離れた友人たちとの待ち合わせ場所へ行くまでに、要した時間は3時間足らず。さらにその間、誰にも目撃されていない。しかし、そんなことはあり得ないのだ。