神戸・須磨事件

無実の証明

5月24日のことについて

 

 

5月27日のことについて
5月25日のことについて

 

 

付記
5月26日のことについて

 

 

 

主に5月25日のことについて

○A少年は、“24日の深夜に目が覚めたとき、隠していた糸ノコギリ(金ノコギリ)のことを思い出し、それで人間の首を切ってみたいと思った。”“翌25日家の食器棚の引き出しから、黒いゴミ袋を2枚取り出し、糸ノコギリ(金ノコギリ)を運ぶための学校の補助カバンと、ナイフを一本持って、ママチャリ(A少年の自転車)に乗って、直接「タンク山」へ向かった”と、調書にはある。

 しかし、神戸市では黒いゴミ袋は使用されておらず、近所のスーパーでも売られていない。それが、普段使う食器棚の引き出しに本当にあったのかどうか。“人間の首を切るとたくさんの血が出ると思い、血を現場に残しておくと、何となく足が付き易くなるのではないかと思ったので、血を入れるナイロン袋が2枚位いると思ったから、ゴミ袋を用意した”とある。

 しかし、首を切断した遺体を現場に放置しながら(ゴミ袋を用意した時は、切断した頭部と胴体を現場に残すつもりで、頭部を持ち出すことは全く考えていない)、血を残しておくと足が付き易くなる、などと考えるのは不自然すぎる。血を溜めたゴミ袋を持って街なかを歩く方が余程危険ではないか。結局、頭部をビニール袋に入れて街なかを歩いたことになっている。

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                  動機と行動との矛盾
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 現場に血痕がなかった、という事実に、A少年の行動を無理に符合させようとしている。真犯人は頭部を切断した遺体を現場に運び込んだと考えるのが自然。

○さらに、実はこの日、A少年の父親と弟は、行方不明のB君の捜索に協力していた。父親はA少年のママチャリに乗っていた。昼頃、コープの前でA少年に出会い「自転車を交換してくれ」と言われている。学校の補助カバンを父親や弟は見ていない。A少年はその地点から、タンク山とは反対方向の「ブック&ビデオショップへ行く」と言って、その方向に向っている。

 その後、父親と弟は公園でパンとジュースの昼食を済ませ、タンク山へB君を探しに行っている。そして、自分たちより先に来ていた年配の男性と出会っている。

 しかしA少年は、“ママチャリに乗って、家から直接タンク山へ向かった”と、調書にはある。

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 父親が、A少年のアリバイのために嘘を書くのであれば、これでは役に立たないことからして、父親の話は真実だと考えられる。弟もいたのだ。

 いつもながら、調書の内容が虚偽である可能性が高い。

○この日は、自治会・PTA・学校の職員たち・警察・警察犬も含めて、大捜索が行われていた。A少年の父親と弟は、午後3時過ぎに、今度は別ルートからタンク山へ登っている。そのほかにも大勢の人が何度も探しに行っているのだ。

 B君は、自宅から700mの距離の祖父の家に歩いて向う途中に行方不明になっており、B君の行動範囲がそう広くはないということからして、狭い地域をくまなく探すのは当然のこと。この大捜索の様子を知っているA少年は、それでもタンク山へ登り、逃げ場がない狭いアンテナ施設のフェンスのなかでB君の首を切断し、黒いゴミ袋に血を受け、それをどこかに運び出そうという考えを変えなかったのだろうか。 誰にも会わず、会っても不審がられずにできると思ったのだろうか。

 “血を残しておくと、足が付き易いように思った”A少年が、最も危険なことをしようと思い、またそうできたというのだろうか。

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 万引きの話をはじめ、今までの調書の一貫した傾向、「不自然すぎる、現実的に無理がありすぎる、机上の空論・・・」

○A少年は「チョコレート階段を登って行ったのか、あるいは車が通る道を登って行ったかについては、はっきり覚えていませんが、そのどちらかの道を辿ったことに間違いありません」といつも通り調書にはある。

○ 7月7日付調書のなかに奇妙な問答がある。

 A少年が“(5月25日、B君の遺体切断のために)24日に付け替えた南京錠の鍵を開けた”との記述の後である。

問(検事) 君は、当初「付け替えた南京錠の鍵は5月24日に捨てた」と話していなかったか。

答(A少年) 話していたと思いますが、それは僕の思い違いだったと思います。

(何者かによって、文芸春秋社に送られ、掲載された検事調書は全てではない。理由は不明だが、欠落している日の調書が存在している。もちろん私たちにその内容は知ることはできない)

 上の問答はもちろん、6月28日以降、7月7日以前の調書の事実上の訂正である。

 A少年は、“B君を殺害した5月24日深夜に目が覚め、アンテナ施設内に「糸ノコギリ(金ノコギリ)」を隠していることを思い出し、人間の首を切ってみたいと思い、25日午後に再びアンテナ施設内に入った”とされている。その犯行の経緯をよどみなく語ったかのように、調書に書かれている。しかし、「24日の日に、付け替えた南京錠の鍵を捨てた」とは、「付け替えた当日(殺害した日)に鍵を捨てた」と思っていたということだ。

25日に再び鍵を使っているのだから、「殺害した日に捨てた」などと、思い違いをすることは絶対にあり得ない。今までの調書の内容もあり得ないことばかりだったが、この「思い違い」も、絶対にあり得ないことだ。

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 A少年のアリバイとの関連で、でっち上げのシナリオが変わったことをうかがわせる。

 実際、凶器ひとつをとりあげても、最初はナイフ、次はナイフとノコギリ、次は糸ノコギリ(金ノコギリ)一本で、というように基本的なところが大きく変わっている。25日・26日の行動にしても、逮捕後かなりの間は、「25日に遺体を切断し、頭部はアンテナ施設付近の藪に放置、26日にそれを取りに行って、自宅に持ち帰り、深夜、風呂場で洗った」という警察からの情報が大きく報道されていた。それで発見されなかったとは誰も信じないし、無理がありすぎるので、後に変更して発表されたと考えられる。

 しかし、7月7日付調書によると、また別のシナリオがあったのだが、途中で、どうにも辻褄が合わせられなくなって、変更したのだろう。

 いずれにしても無茶苦茶な話なのだが、当時の関口祐弘警察庁長官は、7月10日の定例記者会見で、「少年は取調べに対し、素直に応じ、事実関係についてはほぼ一貫性のある供述をしている」と説明している。「素直に」というのは、「取調官の言いなりに」と解釈するとしても、「一貫性」が、ある?どこに?

○B君の遺体の頭部の切断は、「均一(ギザギザではない)」とA少年逮捕以前は報じられていた。「普通のナイフよりも刃の薄いカッターナイフのような鋭利な刃物と、目の粗いノコギリ。あるいは電動ノコギリで切断」という警察のコメントを受けて、ほとんどのマスコミで報じられていた。A少年逮捕直後も「凶器のナイフを押収した」と警察は会見し断言した。「刃渡りは分からない」とも言ったが。

 しかし、A少年の持っていたナイフからルミノール(血液)反応は検出されなかった。(凶器は、ナイフよりも刃の薄い鋭利な刃物だから、当然だ。)

 調書には、“B君の頸部を糸ノコギリ(金ノコギリ)で切断した。肉が引っかかったという感じではなく、スムーズに切れ・・・”とある。

 「頸部のように均一性の組織でないものを金ノコギリで切るのは非常にむずかしい。神経や靭帯などがノコギリの刃にひっかかって、とても切れるものではない」(専門医の話)

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 事実をねじ曲げてA少年を犯人に仕立てあげている。

(向畑ノ池から発見された金ノコギリのルミノール反応も確認されていない)

○バラバラ殺人の遺体はほとんどは、第5〜6頸椎(喉ボトケのところ)で切断されている。B君は第2頸椎を切断されており、遺体を水平にしたままではアゴのかげになって、切断できない。第2頸椎で切断するには段差のあるところで頭部を垂らし、アゴを上げなければ無理。あるいは首の後にかなりの高さのものを枕のようにあてがわなければ切断できない。

 しかし、アンテナ施設にはそのような場所もなく、調書にある切断方法では遺体はあお向きで水平のまま。

 第2頸椎で切断されていたからこそ、犯人は(中学の正門前に)頭部を据えることができたのだ。つまり犯人は、頭部を据えるために、あえて段差のあるところ(又は、首の後に高い枕)で切断したとしか考えられない。そうでなければ、過去のバラバラ殺人事件と同じように、第5〜6頸椎(喉ボトケ)の部分で切断しているだろう。しかし調書には、“26日になって、頭部を据えることを思いついた”とある。

“遺体を切断した後、持っていたナイフで、瞼を切り裂き、口を両耳に向けて切り裂いた”と調書にはある。しかし、A少年のナイフからはルミノール反応は検出されていない。

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 A少年は犯人ではあり得ない。

○A少年は、“遺体を切断したときに流れ出る血を、黒いゴミ袋で受けて溜めたゴミ袋を持ち上げ、袋の口を自分の口のところまで持ってきて、口一杯分の血を飲んだ”と調書にはある。

 しかし、そんなことができるのか。中の見えない黒い大きなゴミ袋を持ち上げて、そこから口一杯分だけの血を流し出せるはずなどない。A少年の口のまわりや服はこぼれ出た血で染まるはず。

 口のまわりを血だらけにして、血の付いた服で大勢の捜索のなかを移動するのか。

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 A少年の異常性に注意を引き、事実から目をそらさせるための心理トリック。(実際は、A少年の衣服からもルミノール反応は出ていない。)

○調書には、“切断した頭部を地面(コンクリート)に置いて鑑賞した”とある。

 しかしそんなことをすれば、切断面から血がコンクリートの地面に流れ出てしまう。

 “現場に血が残っていると、何となく足が付きそうに思ったから、黒いゴミ袋を用意して、それで血を受けた”のではなかったのか。

○A少年は、“一枚の黒いゴミ袋のなかに首を入れ、その袋のなかに血の入ったゴミ袋も入れて、ゴミ袋の口を結んだ。金ノコギリ(47センチ)は補助カバンに入れ、そのカバンを折りたたんで(服の)腹の部分に入れた。”と、調書にはある。

 そのあと、“右手にゴミ袋を持ち、アンテナ施設の外に出たあと、付け替えていた南京錠を掛けた。”と調書にはある。

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 調書の話が本当なら、遺体の切断や、顔面を傷つけたあとで口をこじあけようとしたことなどによって、A少年のつけていた布製の手袋は、大量の血がしみ込んでいたはず。南京錠をかける時、手袋をしたままならば、相当量の血痕が必ずつく。手袋をはずしていても、手までしみた血は南京錠につくはず。その場合は間違いなく指紋もつく。

 しかし、付け替えられた南京錠からは血痕も指紋も検出されていない。

○A少年は“頭部を入れたゴミ袋を下げて、けもの道を歩いた”と調書にはある。

 しかし、頭部の重み(5〜6kg)で引っ張られたビニール袋は、細い木の枝や茨に触れただけでも破れ、少し破れると重みでどんどん破れていくはず。またA少年は、“山を降りたあと、カバンを腹に入れ、頭部を入れたゴミ袋を持って、捜索隊の出ている街なかを歩いた。”と調書にはある。誰にも不審がられることもなく。

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 こんな話がありえるだろうか。A少年は、トレーナーとジーパン姿。

○A少年は、“街なかから森に入り、補助カバンを腹から取り出し、そのなかに頭部と血の袋の入ったビニール袋を入れて、入角(いれずみ)ノ池に向った。その途中の森の中で、捜索中の3名の機動隊員と出会った。”と調書にはある。しかも“それが入角の池に行く途中か帰りかはっきりしない。”とも。

 しかし、行く道ならば動かぬ証拠の頭部を入れたビニール袋が、ふたもないカバンから丸見えの状態。絶対絶命のピンチのはず。帰りならば、カバンと金ノコギリだけ。

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 行きか帰りか覚えていないはずはない。こんな話はありえない。もちろん3名の機動隊員も特定されていない。

タンク山から入角ノ池へ行った道順も、またまた“違っているかもしれない。”と調書にはある。

○重い頭部を入れたビニール袋を、金ノコギリの入った厚さ10センチの長方形のカバンに入れる時に、金ノコギリの刃や蝶ネジの部分等にこすれて、ビニールに破れ目が入らないはずはない。破れたところが袋の底の部分なら、頭部からしたたり続ける血が流れ出し、布製のカバンにしみ出す。たとえ入れるときにそうならなくとも、入角ノ池でビニール袋をカバンから出したときも、袋が全く破れなかったとは考えられない。(補助カバンに血痕はついていない)

“機動隊員は、A少年に話しかけた。”と調書にはある。道は藪同然でとても狭い。機動隊員が3名もいて、金ノコギリの柄がはみ出し、大きくふくらんだふたのないカバンの中味のことを聞かなかったのか。ジーパンのポケットがふくらみ、血のしみついた手袋が見えなかったのか。袋から血を飲んだときに顔についたはずの血に気づかなかったのか。異臭(死臭)に気づかなかったのか。兵庫県警の機動隊員も、警察犬も森や山を呑気に散歩していたのか。

○A少年は、“入角ノ池のほとりの木の根本の穴に、頭部を入れたゴミ袋を押し込み、向畑ノ池まで行き、その池に遺体を切断した金ノコギリを投げて捨てた。ただ、もしかしたら、向畑ノ池に投げ捨てた時期は、帰る時ではなく入角ノ池に行く時だったかも知れない。”と調書にはある。

 しかし、厚さ10センチの長方形のカバンのなかに頭部と血を入れたビニール袋と、長さ47センチの金ノコギリを一緒に入れていたとされているのだ。ビニール袋の大きさと重さでカバンは大きく膨らんで変形していたはず。ビニール袋に圧迫された金ノコギリを、カバンから取り出すのは実際には無理だ。ビニール袋が破れると、なかの血が流れ出てしまうのだから。一方、入角ノ池の帰りならば、カバンのなかは金ノコギリだけだから、何の苦もなく取り出せる。不器用だったA少年が、手品師のように器用にそうできたとして(できたことになっているが)、それを覚えていないはずはない。

 また、“入角ノ池のほとりの木の根本の穴にビニール袋ごと頭部を押し込んで”ビニール袋が破れないはずはない。

○A少年は、“糸ノコギリ(金ノコギリ)でツルを切った南京錠は、間違いなく向畑ノ池に捨てたが、捨てた時期については、この日(25日)かどうかははっきりしない”と調書にはある。

 しかし、その日に捨てていなければ、ポケットに入れたまま家に帰ったことになる。自分の部屋でポケットから出し、どこかに置き、改めて取り出して向畑ノ池に捨てに行ったことになる。A少年の母親はしょっちゅう彼の机を片づけていたのだから、母親の目に触れないところに隠さねばならない。翌日からは、南京錠のことは大々的に報道されたのだから。そして、その後の大警戒のさなかに、動かぬ証拠の鍵を持って捨てに行ったことになるのだ。

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              それを覚えていないはずはない。

○A少年は、“万引きした2個セットの南京錠のうち、使わなかった方の錠や、その鍵はおそらくは入角ノ池に捨てたが、向畑ノ池に捨てた可能性もある”と調書には書かれている。

 しかし、向畑ノ池の8日間にわたる延べ800人を動員した大捜索では、切断した南京錠も鍵も発見されなかった。A少年は、投げ捨てた地点を覚えていたのであり、もしも話が本当だとすれば、見つからないわけがない。(池の大きさも、池をはさんでやや距離があるが、キャッチボールができるくらい)

 それでも見つからなければ、当然今度は入角ノ池の大捜索をしなければならないはずだ。なぜなら、A少年はなぜか“覚えていない”ことや、“思い違い”が非常に多く、切断した錠をいつ捨てたのかさえあいまいなのだから、向畑ノ池と思っていても実は入角ノ池だった可能性は十分にある。まして入角ノ池には2個セットの錠のうちの使わなかった方が投げ捨てられているのだから、捜索しても決して無駄にはならない。切断した南京錠や鍵は、スリ替えのできない重要証拠なのだから。

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 実際は、入角ノ池の捜索はされていない。そこには何もないことを警察は知っていたからではないのか。それ以外に理由があるのだろうか。

○奇妙なことに向畑ノ池の大捜索では、なぜか金づちとナイフがテープでグルグル巻きの状態で発見された。A少年が持っていたナイフは3本で、すでに3本とも押収されている。これについての警察からの説明は一切ない。

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 池の捜査で出てきたものが、いかにマユツバであるかを示している。もしかすると、でっちあげの事情を知った比較的良心的な捜査員からのメッセージ?○A少年はその後、“タンク山の下付近に停めていた自転車を取りに戻り、帰宅した。帰宅が何時頃だったか、はっきり覚えていない。”と調書にはある。(この日、彼は家族と一緒にいつものように夕食を食べている。)帰宅時間を“覚えていない”のは、この調書のいつもながらのパターンではあるが、しかし、いずれにしてもA少年が遺体の切断のために「タンク山」に登ってから、入角ノ池にビニール袋を隠して自転車を取りに戻るまでは数時間かかっているはず。その間、いくら“人目を気にして、タンク山の登り口の少し右側に自転車を置いた”にしても、行方不明のB君を捜しまわる総勢150人の人たちの目に、長時間置き去りにされた自転車が印象に残らないはずはない。隠すところもないのだ。

 24日午後もA少年は、途中万引きのために遠征したにしても、2時間位はタンク山の登り口に自転車を置いたままということなのだ。それも誰の目にもとまっていない。当日、たまたまそのあたりで友だちと遊んでいたA少年の弟も“兄の自転車は見ていない”と証言している。

 しかし、27日の午後、胴体部がタンク山で発見されてからは、24日から26日にかけてそのあたりに停まっていた車やスクーターにいたるまで、目撃情報が多数報道されていた。(スクーターは、持ち主が後日新聞記者に名乗り出て、事件と無関係だったことが判明した。)

 また、現場近くの妙法寺駅付近の歩道に点々とついていた血痕に関しても、たくさんの人から目撃情報があり、大きく報道された。(これもバイクで転倒してケガをした人が名乗り出た。) A少年の自転車は、誰の目にも見えなかった。そればかりか24〜27日にかけて、異様な姿で不審な行動をとるA少年を目撃した人はいない。


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