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神戸・須磨事件

無実の証明

5月24日のことについて

 

 

5月27日のことについて
5月25日のことについて

 

 

付記
5月26日のことについて

 

 

 

主に5月26日のことについて

〇A少年は、“5月26日の昼過ぎ頃にママチャリで家を出、公園の出入口のところにそれを置き、徒歩で入角ノ池に向った。(自転車の通れるような道ではない)池のほとりの木の根本の穴からビニール袋を取り出し、袋の口を開けて下にずらし、頭部全体をビニール袋の上に出して、至近距離から観察した。前日と比べて取り立てて変化がなく、がっかりした。頭部に興味がなくなった。”と調書にはある。

 しかし、殺害後2日がすぎ、しかもビニール袋のなかで一昼夜密封されていた頭部である。もしも、この調書の内容が本当であるならば、それを袋から出した時、強烈な死臭を感じないはずはない。

〇A少年は、“頭部の隠し場所を考えているうちに、警察の捜査から自分を遠ざけるために、あえて頭部をさらそうと思い、捜査の対象から自分をそらすためにT中学正門に置こうと考えた。”“再び頭部を袋に入れて、袋の口を閉じ、そのビニール袋を持って自転車を停めている公園まで歩き、頭部を入れたビニール袋を自転車の前カゴに入れて帰宅した。”と調書にはある。

 しかし、入角ノ池はすり鉢の底のようなところにあり、下りる道などはない。木が生い茂り、木の根の露出した急斜面を、ロープをつたって上り下りしなければならないのだ。片手に重い頭部の入ったビニール袋を持ったままで、ロープづたいにこの急斜面を登るなど、到底できないのだ。ロープから手を放すと自分がころげ落ちてしまう。

 もしも曲芸師のようにそうできたとしても、頭部の重さで引っ張られ伸びているはずの薄いビニール袋は、石や木の枝、枯木などにひっかかり、今度こそ絶対に間違いなく破れてしまうのだ。破れ目から血はしたたり落ち、重みで破れ目は広がり、頭部はゴロリと転がり落ちてしまうだろう。あるいは破れ目から、頭部の一部が見えてしまうだろう。A少年は、公園から入角ノ池への道で、昨日3名の機動隊員に出会ったことになっている。26日も捜索は続いている。今日も会うかもしれない。池から運び出せても、彼はまだ公園までの道なき藪を歩くのだ。しかも26日はカバンも何も持ってはいない。ゴミ袋が破れたら、それで終わりだ。せめて血を入れたビニール袋を池で洗い、頭部の袋を重ねて2重にすればいいではないか。袋が破れていないはずがないのだから。さらに、奇跡のように公園にたどりついたあと、頭部を入れたゴミ袋を自転車の前カゴに入れて約1キロメートル走って帰らねばならない。

 しかし、そもそも入角ノ池から頭部を運び出そうと思った動機は何だったのか。“警察の捜査から自分を遠ざけるため”だったはず。これでは、“捜査の対象から自分をそらす”どころか、現行犯逮捕される可能性がじゅうぶんあるではないか。とんでもない危険を冒して“興味のなくなった頭部”を池から運び出す理由もなければ、その必要もない。

“頭部がすっぽり入る木の根本の穴”があるのであれば、(実際にはそんなものは見当たらないのだが)そこに入れて、土をかけて隠せばいいのだ。たとえA少年が、動機に反して頭部を入れたビニール袋を持って急斜面を登ろうとしても、実際には袋は必ず破れて、運び出すことを断念し、結果的には木の根元の穴に埋めるしかなくなっているはずなのだ。

○さらに、25日も26日もB君の捜索は行われており、アンテナ施設まで捜しに行った人は大勢いる。(警察犬も行っている)局舎の床下をフェンス越しにのぞき込んだ人もいるが、B君の遺体は見つからなかった。床下といっても地形の段差によって、ちょうど目線の高さに床下が見えるのであり、そこに本当にあったのなら捜しに行った人に見つからないはずはない。

 警察犬もアンテナ施設に行っている。わずか数メートル先の局舎の床下にB君の遺体があったのなら、発見されないはずがないのだ。 

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 A少年の姿もその自転車も、さらにB君の遺体すらも誰の目にも見えなかった!

○この調書のストーリーを作った人は、こんな話が本当に通るとでも思っているのだろうか。だが、このリアリティのかけらすらないストーリーは、作為的な情報操作と世論操作によって、現実のものとなり、今もまかり通っている。どう考えても無理だし、そもそもの動機とも反するし、とてつもない危険を伴うことを彼はまるでそれが自然なことのように思い、何の苦もなくできたのであろうか。

 真犯人はB君の頭部を中学校の正門前に置くことを最初から目的にして周到に計画していたに決っているではないか。何の動機もなく、実際に何もしていないA少年が、正門前に頭部を置いたことにするためには、彼のアリバイとの関連、あるいは周囲の状況との関連で、こんな無茶苦茶な話を仕立てあげるしかなかったのだ。

(検事の作りあげた話はもう完全に破綻しています。しかし、全てを知って頂くために最後まで明らかにし尽くしておきます。決定的な無実の証拠が、まだまだあるのです。)

「家に帰った時には、家には誰もいませんでした。家に帰る途中、僕はB君の首を洗うことを考えました。」と調書は続く。しかし、家に誰かがいる可能性はじゅうぶんにあったはず。家に母親や弟がいれば、彼はどうするつもりだったのか。近所の人が家の近くにいれば、どうするつもりだったのか。警察犬がいればどうするつもりだったのか。そのことについて考えることはなかったのか。いやそれよりも、自転車をこぎながら人の目が気にならなかったのか。自転車の前カゴに、人間の頭部を入れているのに。

 まるで家に誰もいないことがすでに決っているかのように。誰にも不審に思われないことも知っていたのか。A少年には予知能力まであるのか。

 そして事件発覚後、「黒いビニール袋の男」が連日大きく報道されていたが、自転車の前カゴにふくらんだ黒いビニール袋をのせて走っていた少年のことを、この日彼を見かけたはずの地域の人々やドライバーは誰ひとり思い出さなかったのか。

○そもそも、A少年の黒いビニール袋の話は、黒いビニール袋の男の話を下敷きした検事の連想ではないのか。27日の頭部を中学の正門に置きに行く話にしても、調書が本当なら、わずか数時間のあいだに、同じような黒いビニール袋を持った人物が別々にふたりも同じ場所に行ったことになる。謎の男とA少年である。こんな偶然はないとは言えないが、あまりにも現実味がなさすぎる。

○ 27日早朝に複数の人に目撃された黒いゴミ袋の男は、一体誰だったのか。実際に頭部が置かれた時刻以降、その男を見た人がいないのはなぜだろう。単なる通行人であれば、その後もその男はたくさんの人に目撃されているはず。ゴミ袋をどこかに置いたのなら、その男は目立つことはなくなるが、黒いゴミ袋が発見されるはず。その日はゴミ収集日ではなかったのだから。

○早朝でもその男は何人もの人の印象に残っている。25日、26日と黒いビニール袋を持って歩いたり、自転車に乗っていたA少年は誰の目にもとまっていない。

○頭部を洗おうと思った第一の理由は、“殺害場所を特定されないように、頭部に付着している土とか葉っぱ等を洗い流すため”と調書にはある。

 しかし、A少年が供述したとされる殺害方法ならば、B君の遺体にはアンテナ施設の土や葉っぱがべったりと付いているはず。しかも、“切断した頭部を地面に置いて鑑賞した”のだから、血のりも残っているはず。今さら頭部だけを洗っても何の意味もない。

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 調書が事実なら、A少年は殺害時も殺害後も、殺害現場を特定されないように配慮した様子は全くない。調書の通りの殺害方法なら、アンテナ施設前の土や泥がB君の衣服や手足にベットリとついているはずだし、抵抗してもがくB君の手足や顔は、コンクリートにこすれて、傷つき、出血するはず。しかしそんな事実はなかったから、当初から「殺害場所はタンク山ではない」と言われていたのだ。

「本当は殺害場所を特定できない」という検事のホンネが出てしまっている。

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 ここまで論理が破綻すると頭部を洗ったことも、「正門前に置かれたB君の頭部は濡れていた」という事実に、A少年の行動を無理矢理に合わせるためのものなのか、調書のストーリーを考えた人の趣味なのかすら判断できない。しかも実際は、B君の胴体部にもタンク山の土は付いておらず、血のりもなかったのだ。

 この調書を検証していて、唯一論理的にも現実的にも成立することは、「A少年は無実。現実として彼にはこの犯行はできないし、実際していない。」ということだけだ。

○もしも本当にアンテナ施設の局舎床下に胴体部を置いていたのなら、捜索隊にいつ発見されるか分からない。A少年が入角ノ池に行っている間に胴体部は発見されているかも知れない。そうなっていれば、警察官はタンク山ふもとにも大勢集っているはずなのに、A少年はそのまん前を、頭部を入れたビニール袋を自転車の前カゴに入れて平然と走ろうと思うはずがない。

○同様に、頭部を家に持ち帰ってから、胴体部が発見されれば、大捜査が始まり、頭部を家から持ち出すことは不可能になる。

 彼が犯人なら、それくらいのことは当然考えないはずはない。

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 胴体部の発見は27日午後という事実を踏まえて、検事が後からストーリーを作成している。

○A少年は、“帰宅後、風呂場に頭部の入ったビニール袋を置き、庭にあるタライを風呂場に持って来て、袋から頭部を出し、タライの中に入れた(立てた)”と調書にはある。

 だとすれば、このタライからは間違いなくルミノール反応が検出され(洗ってもルミノール反応は検出される)、重要な証拠のはず。

 しかし警察は、7月11日に「強制ではないが・・・」とそのタライを持ち帰り、7月18日にA少年の父親に所有物件放棄書にサインさせている。証拠としての押収でもなければ、任意提出でもなく「放棄」させている。タライからもルミノール反応は出なかったのだ。

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 このタライからルミノール反応が出なければ、逆にA少年の無実の証拠となるから、あえて棄てることへの了解をとったと考えられる。

○調書には「それから、僕は風呂場の水道の蛇口に、元から付いていたのか、あるいは洗面所にあったのか、はっきり覚えていませんが、ホースを取り付け水を出して、そのホースでタライの中に立てて置いているB君の首に水を掛けました。」とある。

 しかし、A少年が自宅の風呂場の蛇口に“ホースが元から付いていたか、洗面所にあったのか知らない”などということがあるだろうか。それに「はっきり覚えていない」と言った端から「ホースを取り付け」となっている。だったら付いていなかったに決っているではないか。

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 「知らなかった」のは、この調書の作者だろう。

「B君の首を入れていた黒色のビニール袋、及びその袋の中に入れていたB君の血を入れたビニール袋を風呂場で洗いました。それでB君の血は、全て風呂場で流してしまいました。」と調書には書かれている。

 しかし、その風呂場からルミノール反応は検出されていない。

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 調書に書かれていることは事実ではない。

○もしも風呂場からルミノール反応が検出されていれば、(一瞬にしてタイルの色が変わり、それを当然両親も確認するのだから)A少年の両親は、彼の逮捕直後に全てを悟り、彼が犯人であることを理解しただろう。

 しかし両親は、彼の逮捕のショックと世間やマスコミのバッシングのなかで、押しつぶされながら、事件の被害者に詫びながらも、彼が犯人だとは思えていなかったのだ。少なくとも9月末、A少年の逮捕から3ヶ月後にして、初めて彼と面会したときの、これが我が子かと思うくらいに、様子の変わってしまったA少年を見るまでは。A少年は反発をあらわにし、両親をにらみつけたという。

 しかし、A少年は本性をむき出しにしたのではないだろう。

 この調書にあるような事実無根の話を強引に仕立てあげる人たちが、A少年に両親のことを何と言っていたのか。今までの冤罪事件では、「親もおまえが犯人だと言っている。」と嘘を伝える場合が多かった。今回もそうかもしれないし、さらに少年の心を壊し、自分たちの思い通りにしようとすれば、「親が通報してきた」とさえ言ったかもしれない。これはいずれ明らかにされる日まで決めつけられないが、何をしても不思議ではない人たちによって犯人に仕立てあげられたことは確かだ。

○A少年が犯行時に使用したとされる血で染まっているはずの黄緑色の手袋も、7月1日に押収されたことになっている。

 B君の事件でA少年宅の家宅捜索は、逮捕当日の6月28日と翌29日、7月1日の3回。6月28日には押収されていない。そう広くはない彼の家や部屋から、28日に見つかっていないこと自体、不思議なことだ。押収物については親が確認する。血染めの手袋を見せられた両親は、風呂場の件と同じくその場で全てを悟るはず。しかし、風呂場の件と同じく、両親はこの先もA少年が犯人だとは思えていない。

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 物証などないのだ。あるはずもないのだ。手袋からもルミノール反応は出ていない。

○もしもその血染めの手袋があるのなら、A少年はなぜ燃やさなかったのか。ノートや本などは燃やしたとされているのに、手袋を置いているのは不自然すぎる。しかし実際は、押収されたことになっている手袋には、血もついていなかったのだから、もっと不自然。A少年は、遺体の傷口をさわって全く血のつかない布製の手袋や、絶対に破れない黒いゴミ袋を持っていた、とでも言うのか。

「その日(26日)僕が入角ノ池に行くために家を出てから、最後にB君の首を天井裏に隠すまでに掛かった時間は、約1時間位だったと思います。」と調書にはある。

 しかし、これは時間的にみても全く無理な話だ。

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 この日は、彼の母親が午後2時に帰宅、一緒にテレビを見てその後中学の教師が家庭訪問して話をしている。A少年はその日、パジャマ姿のまま家にいたのだ。

 調書の作者が、母親の帰宅時刻に合わせるために、無理を承知で約1時間にしなければならなかった。

○A少年は、“頭部を天井裏に隠したあと、いろいろ考えた。学校の正門に置くだけでは警察の捜査を攪乱できるかどうか心配になった。念には念をという意味で、更に捜査を攪乱するための方法を考えた”“すぐに良い方法は浮かばなかったが、B君の首に何かを添えたらいいと思った。”「首に何かを添えると考えた時、B君の口が開いているので添える物はB君の口にくわえさせようと考えました。」“それで、どんな物を、と考えて口にくわえさせるのならば、手紙が一番だと思った”“偽りの犯人像を一番表現し易いから”と調書にはある。

 考える順が逆だろう。場あたり主義と、結果に強引に原因を合わせようとする発想は、この調書を作った人の特徴だ。帳尻さえ合っているかのように見せれば、過程はどうでもいい、という思考パターン。

 しかし、でたらめな過程を積み重ねれば、見せかけの帳尻ですら合わなくなってしまうのだ。真実の積み重ねのみが、真実の結果にゆきつくのだ。

「そして、僕が考えた文章は今でも覚えています。僕が書いた文章については、赤のペンと黒のペンで書きましたので、それぞれのペンを貸してくれれば、僕が書いた通りに再現することができます。」

 第1の犯行声明について、調書にはこう書かれている。A少年がいかにも自信たっぷりに、しかも自発的に書いて見せることを申し出たかのように。

 しかし、実際にA少年が書いて見せたものはどんなだったのか。結論から言えば、全く別人の手によるものであり、つまりA少年はこの事件の犯人ではない。一目瞭然だが、その理由を以下に挙げる。

@真犯人による声明文は、筆跡を確実に変えるために、いくつかの“決まり”を作っている。(たとえば曲線を使わない、線の水平・垂直をていねいに引いている → 文字の線と線の平行・直角が保たれ、カッチリとした文字になる。「に」や「た」の「こ」の部分の書き方は「く」に近い。「ハネ」は使わない。等々)しかし、A少年が書いたものは、似せて書こうとはしているが“決まり”には全く気づいていないので一貫性のない単なる不安定な金くぎ文字になっている。

A集中力・意志の持続力の違いは歴然としている。

B真犯人の声明では、「怨」とあるのをA少年は「恐」にしてしまっている。

 この間違いについては、「今書いた文章では恐という字を書きましたが、僕自身、この時は(本物を書いた時)そのマンガの本を見ながら書いたものであり、僕が覚えていた文字ではなかったので、間違っているかもしれません」と説明していることになっている。

 しかし、A少年は“声明文を覚えているので書ける”と言って実際に書いてみせる直前に、「瑪羅門の家族 というマンガの本を見ると、その第3巻の目次のところに、積年の大怨に灼熱の裁きを、という文章が目に入りました。積年の大怨 ということになれば、長年積もり積もった怨みを持った者の犯行だと、読んだ人間は思うだろうし・・・」“灼熱の裁きを、というところは、流血の裁きをという表現にした”と、理路整然と説明したことになっている。

 本当にA少年が供述しているのなら、当然彼は「怨」という文字を声明文に使ったことをはっきりと覚えているし、意味も読み方も知っていることになる。それを「恐」と間違えるはずはない。

 この調書を作った人は、こう説明するしかないだろう。A少年は、「何も見ずに覚えているままを書いたので思い違いをした」と。

 しかし、その言い逃れは通用しない。なぜならA少年は、この短い声明文のなかでまだ漢字を間違えているからだ。(彼は漢字は大の苦手なのだ)

 それは「裁」という文字の「衣」の部分が「R」のように線でつながってしまっている。声明文には「裁」の文字が2ヶ所あり、その両方をA少年は同じように間違っているのだ。「裁」という字を度忘れして書けないのならともかく、なぜ2回もこんな珍妙な文字を書いたのか。その答はふたつしか考えられない。

 真犯人の書いた声明文の「裁」という文字の「衣」の部分に特徴があるのだが、彼はそれを見ながら真似て書かされていたが、見間違えて書いてしまった。(A少年の視力は0.1と0.2。) つまり、「怨」を「恐」と書いたのも見間違いであり、この調書はA少年が供述しているかのように書かれてはいても、実際は検事のひとり芝居であり、A少年は抵抗する気力を失っていたとしか考えられない。

 あとひとつ考えられることは、A少年は「裁」という字を奇妙な文字に間違えて覚え込んでいた。いずれにしても、A少年が本物の犯行声明を書いたのではなく、彼は犯人ではない。「制」という字も、本物では近寄っている2本の横線を、A少年は重ねて1本にしてしまい「制」になっていない。

 

B実はもっと決定的なことがある。犯行声明には図のような犯人のマークが描かれている。

 

本物の斜線の部分をたどると、ナチスのマークになる。しかし、A少年が描いたものは斜線の引き方を間違えていてナチスのマークにはなっていない。

 ここまでくれば彼は本物を手本に見せられて、真似て書くように強要されてそうしようとはしたが、実際にはできなかったのだ、と誰の目にも明白だ。

 「ペンを貸してくれれば、僕が書いた通りに再現することができます。」などという彼の供述が実は検事の創作であることも明白だろう。

○A少年は、この事件の犯人ではないことも分かっていただけるだろうか。もしかすると、「A少年がわざと間違えた」と思う疑り深い人もいるかもしれない。ここまで何のためらいもなく、言う必要もなさそうな自分の残忍な行為をも供述しているのが本当であるならば、今さらわざと声明文の文字やマークを間違える必要などどこにもないのだが、念には念を入れて再び調書を引用する。

 「この手紙にはマークを書いていますが、これは僕のマークであり、ナチスドイツの逆卍をヒントにしたのです。ナチスドイツの逆卍については、テレビでも見たことがあるし僕自身ヒットラーの「我が闘争」という本を読んでいました。このマークは、小学校の頃に作ったのです。」

 このように誇らしげにすら語ったとされる彼が、自分のマークをわざと間違えるはずはないのだ。もちろん、小学校の頃からの自分のマークであれば、思い違いで間違うことなどあり得ない。真犯人は同じマークをいくつも間違わずに描いている。

 ちなみにA少年の愛読書は「我が闘争」などではない。彼はあまり本は読まないそうだが、M.エンデの「果てしない物語」は好きだったということである。「ネバーエンディングストーリー」のビデオは何度もみたのだそうだ。彼は心優しく気弱であるがゆえに、時々強がってみせる普通の少年だったのではないのか。だからこそ、取調べの恐怖に屈して、「僕はやっていない」と主張し続けることができなかったのではないのか。

○A少年は「直観像素質」といって、見たものをそのまま写真のように覚え込み、それをいつでも再現できる特殊能力の持ち主、とされている。

 この能力があるから、ダンテやニーチェの作品の一節を引用している謎の詩文「懲役13年」も、A少年の作とされているのだ。(懲役13年は映画「プレデター2」の英語のセリフと、ストーリーにおいて、第2犯行声明と重なっており、真犯人の作と考えられる。警察が、あの高度で難解な詩文を、A少年の作としなければならないところからも、真犯人の作であろうと思われる。第2犯行声明と同時期に真犯人が送りつけてきた可能性が高いが、真相は明らかにされていない。)

 しかし、誰もA少年にそんな能力があるなどと感じたことがないという事実の通り、彼にはそんな能力はないのだ。漢字やマークの書き写し間違いからもそれは明らかだ。

○しかも真犯人は、第2声明文の封筒に第1声明文とほとんど全く同じものを同封していたのだ。つまり真犯人には同じ声明文を同じような文字で2度書く能力があったということだ。

しかし、7月10日にA少年が書いたものは、到底同じものには見えず、まるで子供のいたずらだ。

 

 


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