神戸・須磨事件

無実の証明

5月24日のことについて

 

 

5月27日のことについて
5月25日のことについて

 

 

付記
5月26日のことについて

 

 

 

主に5月27日のことについて

「5月27日の午前1時頃から午前3時頃の間に、B君の首を置きに行ったのです」と調書にはある。

しかし、実際は午前5時10分にはまだ頭部はなく、5時30分から6時40分の間に3度移動させられていたことが、複数の目撃者によって確認されている。移動の跡を示す血痕は当時のテレビでも映っていた。「目撃者の話と面状の血痕(点々とした血痕ではない)の位置も一致している」と報道されていた。ではなぜ調書ではここまで強引に時間を変えなければならなかったのか。

 それは、A少年の“母親は午前5時頃には台所にいるので、少なくとも午前3時頃まででなければ、親に知られずに行動できない”から、と調書にはある。

 つまり、実際に中学正門前に頭部が置かれた時間帯に、彼は家にいたのだ。このアリバイだけは動かしようがないので、彼を逮捕した者たちは、頭部が置かれた時間の方を変えてしまったのだ。「毎日新聞」大阪版・97・10・2の記事を引用する。

 捜査本部は遺体発見の翌日から約2週間、午前4時から同7時まで中学校正門などに警察官を配して通行人や通行車両への聞き込みを続けた。目撃証言などから、捜査本部も遺体の一部が放置された時間を午前5時過ぎとみていたためだ。

 聞き込み取材も同じ時間帯に、警察官の横などで行っており、その結果得られた証言も多い。これらの情報は当然、捜査本部も確認していた。「5時15分から数分間」(6月5日朝刊1面)など遺体の一部を放置した時間帯の記事は、目撃者の証言と、捜査側への取材を突き合わせた結果をもとに報じたものだ。

 だが、7月25日の家裁送致の際に神戸地検が行った会見では、放置時間は午前1時から同3時とされた。

 この時間帯の目撃者はいたのか?その後も取材を重ねたが、証言は得られなかった。そればかりか、遺体発見当日の午前5時過ぎに中学正門前を通った人は今も、「遺体はなかった」と話す。一人は逮捕前に「なかった」という調書をとられていたが、少年逮捕後に捜査員が再度訪れ、「気づかなかった」という調書を取り直しに来たという。

○目撃者の証言を無視してアリバイを消し、物証をねつ造したら誰でも犯人にされてしまう。

○Yさんの無実が証明され、完全無罪が確定した「甲山事件」では、Yさんのアリバイ証言をした2人の証人が偽証罪で逮捕された。(2人の証人ももちろん無罪が確定した。)警察はそこまでやるのだから、「そんなことするなんて思えない」という思い込みは取り除いて、この事件に関しても客観的に事実をみてほしい。

○この強引なやり方をカムフラージュするために、調書を作った人たちは、A少年が2階の窓から出て、中学正門に向かった、という話に人々の注意を向けようとした。普通ではできそうもないことをしたと言うのだから、逆に「本当なのだろう」と思わせるために。この心理トリックは調書全体に一貫している。

○A少年が2階の自宅の窓から外へ出たとされる理由(動機)は何か。

“家の階段は、上り下りするとギィーと音がする。両親の部屋は階段のすぐ側なので、階段を下りると両親に見付かってしまう可能性があるから”と調書にはある。

(26日に家族がいるかもしれないのに、頭部を家に持ち帰り、たまたま留守だったので、いつ帰ってくるかもしれないなかで、風呂場で頭部を洗ったとされる大胆不敵なA少年の、今度は何と用心深いことか。作り話のなかにいくつもの矛盾があるのも、この調書の特徴だ。嘘は真実とも仲良くできないし、嘘どうしもまた仲良くできないのだ。)

 しかし、彼の家を見れば誰にでも分かるのだが、2階の窓から出入りするのはとても無理なのだ。(1階と2階の間にひさしもない)たとえもしもそうできたにしても、足場にするスチール製の柵には物が置いてあり、その周辺の庭にもいろんな物が置いてあるので、飛び降りれば間違いなく大きな音がする。両親の部屋のサッシのまん前で大きな物音を立てることになるのだ。(夜中にそんなことをすれば、泥棒と間違えられて警察を呼ばれてしまうじゃないか・・・!?)

 A少年は、階段を上り下りするより静かに、2階の窓から出入りできると思い、実際にそうできたなどありえないのだ。(両親も「そんなことは無理です」と言っている。)

 しかもA少年宅は玄関の横がトイレであり、夜中に階段を下りても誰も怪しむはずはない。それに、窓から出る時の靴はどうしたの? 玄関まで取りに行くと階段を通るではないか。

○しかしこの作り話には“タネ”になる事実はあった。かつてA少年宅の庭にはもっと大きな棚があって、それを足場にして兄弟たちが2階から出入りして遊んでいた時期があったのだ。(もちろん昼間の話。)その話をどこからか聞きつけて、こんな話を作りあげたのだろうが、大きな棚は事件当時はすでになく、2階の窓からの出入りはできなくなっていたのだ。

○この2階から出て頭部を置きに行ったという話についてもうひとつ。A少年には「猫殺し」の噂がつきまとっていた。そもそも彼の逮捕後の、警察の説明でも「動物虐待からA少年に行きついた」と言われていた。

 しかし、この調書においてすら、中学に入って猫を殺したのは一度だけ。たとえこの一度が本当であっても「猫殺しの常習犯」の話は無責任な噂にすぎないことをまず確認できる。

“3匹の子猫を殺し、中学の正門前に三角形に置いた”と調書にはある。“記念に猫の舌を塩水に漬けてビンに入れ、自宅に置いている”とも調書にはあるが、実際はそんなものはなかった。

 A少年が子猫を殺したのは、“不登校を始めた5月15日から、B君を殺害する5月24日の間だが、いつだったかは覚えていない”“自転車で置きに行ったか、歩いて行ったか覚えていない。徒歩の可能性が高い”ともある。もしもこの1回の猫殺しが本当であれば、覚えていないはずはない。猫の舌などもなかったのだ。いつも通りのデタラメな調書。T中学も、「ひからびた鳥の死体が落ちていたことはあったが、猫の死体はなかった。」と確認している。

 この猫殺しの話は、「事件の直前に正門前に猫の死体が置かれていた」という噂を元にしている。しかしもしも、A少年が猫を殺して正門前に置いていればどうだろう。噂によると、「早朝に猫の死体が置かれていた」のだから、不登校中のA少年は当然、深夜に猫の死体を持って行ったはず。彼はこの時、深夜にどこから家を出たのだろう。もしも2階の窓からならば、その夜の記憶はもっと鮮明だし、B君の頭部を置きに行く時の供述にもその話は出るはず。もしも玄関から出たのであれば、その時は両親に気づかれずに階段を下りたのだから、B君の時にわざわざ2階の窓から出るはずはない。どちらもが調書を作った人の創作なのだが、作り話のなかにすらこんなにお粗末な矛盾がたくさんある。

 実際のA少年は猫も人も殺してはいない。

「神戸新聞」の徹底した取材でも、A少年の猫殺しを見た人はいなかった。その他のA少年にまつわる噂についても事実ではなかったと、神戸新聞社の取材陣は確認している。

○A少年は第2犯行声明文を“下書きを含めて1時間半位で書いた”と調書にはある。しかし、1300字にのぼる第2犯行声明文と、それに同封するための第1犯行声明文と同じものを1時間半で書くなどできはしない。まして「あくまでも僕がイメージした犯人像が持っている動機を書いたものであり、いわば僕の作文であって、僕がB君を殺した理由とは全く違っているのです。」という内容なのだ。

 さらに“辞書で調べた漢字は4つで、「愚弄・追跡・銜えさせた・滲んで」だった。”つまり、それ以外の漢字は覚えていた、というのも(A少年には失礼だが)とても考えられない。しかも、声明文にある「嘘」は旧字体だ。取調べで第1犯行声明を書かされた時のことからしても、あるいは、その年の4月にA少年が書いて学校に提出した「3年生になって」という作文と比較しても。(巻末の資料を参照してほしい)

 さらに第2犯行声明は、外国製パソコンで、日本製のワープロソフトを使用して画面に映し出された文章を見ながら書いたものだろうと推測されていた。

 声明文の1行が、9ポイントの文字で表示されるワープロの1行とほぼ同じであったこと。外国製のそのメーカー特有の漢字変換文字の特徴が、声明文の文字にも複数あったこと(画面上だけで、印字すると正しい文字になる)、等の極めて合理的な理由からだった。「銜える」などという、普通は使わない漢字を使っていることからしても納得できる。

しかし、A少年の家にはワープロもパソコンもない。

「この『文書』や『封書』は、僕の家にあったスケッチブックを使いましたが、もしかしたらそのスケッチブックは後で燃やしたかも知れません」と調書にはある。

 しかし、本当なら「燃やしたかも知れません」で済む話ではない。「燃やした」のなら、いつ、どこで燃やしたのか。「燃やしてない」のなら、それは今どこにあるのか。問いたださねばならないはず。他の証拠とともに隠匿している可能性もあるのだから。

「『瑪羅門の家族』の第3巻は燃やしたと思います。」「(第2声明文の)粗筋みたいな文章を書いたノート等は、後で燃やしています。」とも調書にはある。

 どこでどう燃やしたのか。本やノートやスケッチブックなどは、意外と燃えにくいもの。燃やし切るまでには相当時間がかかる。はっきり覚えているはずだし、燃え残りがあれば物証になる。

                      ↓

 証拠の隠滅をしているのは検事の方ではないか。

○A少年は自宅にあったスケッチブックやノート・便箋を使って、第2犯行声明を作り、それらを“家にあった茶色の封筒に入れ、これも家にあった赤色のテープで封をし、家にあった切手を貼った”と調書にはある。しかしそれらのものからも、指紋は検出されていない。

○以前から家にあったものに全く指紋がついていないのも不自然だし、結果的にはついていなかったにしても、ついているかも知れないと思うはず。24日に“誰かを殺したい”と思った時は、首に自分の指紋がつくのをおそれて手袋まで準備して家を出たとされているのに。犯行声明も、そもそもは自分が疑われないために書いた、としていながら自分を特定する指紋に注意を向けないはずはない。

○2度の犯行声明の用紙からも指紋は検出されていない。あれだけの文章を筆跡を変えることに神経を使いながら、しかも全く手が触れないように書くのは無理なのだ。気づかない間に指が用紙に触れていれば、知らぬ間に指紋はつくし、手が少しでも触れたことに気づけば、初めから書き直さねばならない。また、普通の手袋やビニール製の手袋ではすべって、あの筆圧は維持できない。だから当初は、「犯人は特殊な光線を当てて指紋を消した」とか、「手に密着してすべらず、しかも手の細かい動きを確保できるような特殊な手袋を使ったのではないか」と言われていたのだ。(第2声明文は、その特殊手袋を2枚重ねるか、小さなサイズのものをつけ、やや動きを不自由にすることで全体に引きつった感じの文字にし、さらに筆跡を分かりにくくしたのかも知れない)

 いずれにしても真犯人は指紋に対して、細心の注意を払っていたはずで、この調書に書かれているような無頓着さでは、どこかに必ず指紋がついてしまう。

「その赤色のビニールテープの本体部分は燃やしていませんので、家にあると思います。」と調書には書かれている。

 しかし、事件と関係のあるビニールテープはA少年の自宅にはなかったのだ。逮捕直後に押収されたビニールテープは、事件とは無関係で早々に返却されている。

 犯行に使用された赤いテープは特殊なものだったのに、普通のビニールテープを押収して「犯行に使われたテープを押収した」と発表すること自体、偽りの宣伝効果を狙った作為的なもの。(家にあった切手も封筒も、無関係で返却されている)

「新たに手紙を書いたりすれば、僕の筆跡が警察に分かってしまうと思ったものの、僕自身、警察の筆跡鑑定を甘くみていたのです。」と、7月13日付の検事調書には書かれている。

 この資料で言う「調書」とは、全て「検事調書(検事による面談調書)」のことである。

 この事件には、警察によるA少年の調書は存在しない。もちろん、A少年は逮捕当日の朝から警察による取調べを受けており、当然調書もあったのだが、警察調書は家庭裁判所の判断で、「証拠」として不採用になった。つまり、証拠価値がない、信用できない、ということだ。それはなぜか。

○まず、犯行声明文の文字と、A少年の筆跡は一致していない。

○警察の一部門の科学捜査研究所の鑑定ですら、「一致しているか否か判断することは困難」との結果だった。(警察の身内の表現ですら〈身内だから?〉こうなので、民間の専門家の評価はもっと厳しい。声明文とA少年の筆跡は一致していないのだ。

○逮捕当日の6月28日には、この鑑定結果はすでに出ていた。(6月27日に)

○警察はA少年を「ちょっと話を聞きたいが、ここではちょっと・・・」と、理由も言わずに28日の朝、警察署に連れて行った。同時に両親も引き離し、母親はA少年とは別の警察署で、父親は自宅でそれぞれ刑事がはり付いて、朝から夕方まで「雑談」をしている。両親は、A少年が事件の容疑者として連れて行かれたなどとは全く思っていない。捜査協力だと思って「雑談」につきあっている。

                         ↓

 警察の目的は、A少年と両親、父親と母親を引き離し、両親がA少年のことで、動くことを封じることだった。

○A少年の犯行を示す証拠はなく、筆跡も一致していないので、警察は逮捕状すら請求できなかった。そこで、取調官が「お前がやったという証拠がある。筆跡が一致しているんだ。」と嘘を言って責めたて、A少年は泣きながら「自白」した。その「自白」を根拠に、A少年は逮捕された。(「自白」したので、家宅捜査をし、凶器のナイフが発見されたので、逮捕状を請求し逮捕したという記者会見での説明もあったが、いずれにしても「自白」が根拠になっている。この「ナイフ」からも、ルミノール反応は出ていない。)

○そのことが後で明らかになって、「このような取調べは、もとより違法であり・・・証拠から排除する」という神戸家裁の判断が出たのだ。

 だから警察の調書は証拠の価値がなく、無効になったのだ。

○「一方検察官は少年に対し、『言いたくなければ言わなくてもよいのはもちろん、警察で言ったからといって、事実と違うことは言わなくてもよい』と明確に告げてから、少年に供述を求めているから」との理由で、検事調書は証拠として採用された。それが今まで検証してきた、この調書である。どこにA少年の自発的供述があり、どこに事実と違わないことがあると言うのか。

○7月13日の時点で、A少年はまだ筆跡の嘘を知らない。しかし、当然検事は知っているのにそのことをA少年に伝えていない。警察と同様、検事もA少年をだまし続けていたのだから、その一点のみを見てもこの調書も証拠価値はないはずだ。

 しかし、本当は極めて重大であるはずの初期の違法捜査が大したことではないように思えてしまうほど、その後の捜査・取調べは違法性に満ちている。嘘と偽りで埋めつくされている。

 その嘘と偽りのストーリーを強圧的に刷り込まれることによって、A少年はマインドコントロールされた状態だったフシがある。

○甲山事件でも、逮捕されたYさんは、「父親もおまえが犯人だと言っている」とだまされ、絶望のどん底に叩き落され、その上に「おまえはやったことを忘れる病気だ」と刷り込まれ、自分はそんな病気なのだと思い込まされ、やってもいない犯行を一度は「自白」している。しかし、やってもいない犯行の経過を思い出せるはずもなく、そのことにさらに絶望した正直なYさんは自殺未遂までしているのだ。彼女には彼女の無実を知り、彼女を信じてくれる人たちが大勢いることを、彼女自身知っていたのに、である。もちろん彼女はすぐに自分を取り戻し、25年間無実を訴え、証明された。

○しかしA少年は何も分からないままに、両親から引き離され、朝から長時間、取調べられていた。「そんなことしていない・・・」と否認するA少年に「おまえがやったという結果が出とるんだ。証拠があるんだ。筆跡が一致しとるんだ。」と取調官が責め立てた事実は判明している。取調官は、なおも否認するA少年に「証拠があるのに覚えていないのは、おまえが、やったことを忘れる病気だからや」と、言わなかっただろうか。 

 A少年は約3ヶ月後に両親に初めて会い「帰れ!」と激しく感情をぶつけた。数日後に再び母親に会い「自分は変な病気なんや。お母さんのせいじゃない・・・」と涙を流して語っている。

 「本当に自分がやったのか・・・」と弁護士にもらしたとも伝えられている。

○「甲山事件」でも、当然何も思い出せないYさんに、取調官は「君が思い出せないのなら、僕が代わりに思い出してあげよう」とありもしない犯行過程を刷り込もうとした事実がある。

○ 8月上旬になって、A少年は自分がだまされていたことを、弁護士から知らされた。逮捕以来、「全く感情というものがなく、表情の動きもなく、何か夢でも見ているようだったA少年が、この時は涙を流して悔しがり、『だまされた。非常につらかった。許せない。争ってほしい。』と自分の気持ちを伝えたという。(弁護団長の報告)少年のその訴えに対して、「・・・多分、大人の場合であれば迷うことなく、本人(被告人)がそう訴えておって当然無罪であるという、そういう主張で頑張ったと思うんですけれども、少年の場合はそれをそのまま適用するのがいいのかどうかという、かなり思慮を要する・・・」(弁護団長の報告)などと、弁護団が困惑している間に、「少年はもうなんかそのうち疲れてきたのか、『もうそんなんいいんだ。早くやってくれ。全部自分は事実を認めます』というようなことを言い出したものですから、少年がそう言っとるのに弁護団だけが・・・」(同報告)、ということでA少年を医療少年院へ送るように弁護団は進言したのだ。

○A少年の両親は、当番弁護の手当ての安さを嘆き腰の引けた弁護士の先生に任せておけば大丈夫と、信頼し感謝していた。A少年は当然、心を開けなかった。

○弁護団のひとりは後になって、「検事調書も証拠から排除すべきだった」という論文を発表している。この時点で、弁護団や家裁の裁判官に真実を見極めるための心の目と、事実を検証する科学的・客観的な目、それにもう少し勇気があれば、A少年は釈放され、その両親の名誉は回復されたであろう。

 現実はそうはならなかったが、それでも裁判官は違法捜査を厳しく指摘し、弁護団内部でも「事実」を争うかどうかで激論がかわされた。

○警察の情報操作と、それにつられたマスコミの大合唱。世間の異様な関心と圧力のなかで、弁護団ひとりひとりも、裁判官もまた苦しかったのだ。

 そしておそらくは、上司の指示・命令によって、心ならずもこの歴史的な冤罪事件に加担してしまった捜査員も少なくはなかっただろう。

 人間は、いつもいつも強くいられるわけではない。その結果として、当時14才だったA少年は18才になった今も、「殺人鬼・酒鬼薔薇聖斗」として医療少年院に収監され、両親や弟たちは身を隠すようにして心を縮め、何も言えなくなったままだ。

○しかし、ここから始めればいい。その時はそうしかできなかったからこそ、今がある。それでも偽りの重石からA少年やその御家族を解放し、自分も過ちの重石から解放されたいのであれば、真実の喜びに向ってここから始めればいいのだ。真実は最初から、そしていつまでも真実としてあるのだから。

 (とはいえ、地上の人生は有限だ。急ごう!)

○ちなみに、事件当時の兵庫県警本部長は、新潟少女監禁事件が発覚した当日、特別監査と称して、新潟県警本部長、幹部らと温泉ホテルで麻雀宴会(図書券を賭けて?)を開いたことが露見し、辞職した中田好昭氏(前関東管区警察局長)だった。 

 当時から威張り散らし、ふんぞり返る人だったという。

 こんな人の命令に従い、警察官としての誇りと、人としての良心を自ら投げ捨てなければならなかった捜査員は、どんな気持ちでA少年を犯人に仕立てあげたのだろう。自分の子や孫と重ならなかったのだろうか。共感など持つべきではないが、気の毒でならない。

 

 


上へ

目次・TOP ページ