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  ○いずれにしても真犯人は、おそらくは26日の深夜か27日未明に胴体部をアンテナ施設内に運び込み、27日の早朝に頭部を置きに行った。

○繰り返すが、この章の目的は真犯人捜しではない。
「A少年が犯人でないのなら、真犯人はその後、なぜ犯行を重ねないのか」、という疑問に答えることが目的だ。

○真犯人は異常性格者でも殺人鬼でもないだろう。(別の意味からはその通りだが)犯人なりの理性のもと、極めて緻密な計画と計算に裏打ちされた犯行だった。だからこそ不自然な行動に、何らかの意味を見ることができるのだ。
 しかし、門壁に一旦据えた頭部が落下したことによって、計画は揺らぎ、発見者たちがすぐに通報しなかったことも計算外だったのだ。頭部を何度も移動させることによって、第1犯行声明文への極めて強い執着を表明してしまった。第1犯行声明があればこそ第2犯行声明の時制のトリックが成立する。真犯人にとっては文字通りそれが生命線だったのだ。真犯人は、理性的で頭脳的、よく先を読み、ていねいで完全主義的な半面、思うようにならないと苛立ちも見せるタイプかもしれない。
 いずれにしても、見境なく殺人を犯すような人間ではない。B君を殺害したことで、目的を果たし終えたのだ。

○このことは、当然警察も把握していたはず。しかし、時制のトリックの証明ができず、アリバイを崩せなかったのだろう。頭脳的な犯人が、物証を残しているはずもなく、真犯人の目星はつけながらも逮捕を断念するしかなかった。
 しかし、世間の不安と緊張も、警察に対する不信も、厳戒体制の維持も限界にきていた。このままでは収拾がつかない。だがどうしても真犯人を逮捕できない事情があった。逮捕状を請求するだけの材料もなく、もしも逮捕しても起訴もできない、もしも起訴できても公判の維持ができない。誤認逮捕とされた時の反発を恐れた県警幹部は、捜査線上にあがっていた大勢のうちの一人にすぎなかったA少年に目をつけた。
 犯人顔見知り説は動かし難く、A少年はその条件を満たしている。少年法によって、非公開の家裁審判も、家裁送致後のだから。実際A少年の審理4週間で決定(判決)を出さねばならないことも好都合だったのだろう。徹底した審理はできないは5回。初回は30分、5回目は決定申渡しだから、実質は3回だ。
「自白さえさせれば、後は何とかなる」と。
そしてA少年は逮捕された。

○A少年があたかも異常性格者であるかのような偽情報をマスコミに流し、キャンペーンにつられて、世間の人たちも噂を事実のように吹聴し始めた。あの当時、新聞やテレビで繰り返し言い広められたA少年にまつわる話は今ではほとんど全部、事実ではなかったことが判明している。猫殺しも、首のない人形も、部屋じゅうのホラービデオも・・・!もちろん犯行声明の下書きも、血のついた服も・・・!

○警察幹部は、松本サリン事件の経験から、マスコミや世間の人たちが、いかに情報操作に弱いかを知っていた。(河野さんは、純然たるオウムの被害者でありながら、警察やマスコミ、世間からどんな扱いを受けたか。河野さんの御長男は取調べで「親父はもう吐いた」とだまされている。強制捜査で薬品の調合容器として押収された(と報道もされた)ものは、実際は漬物桶や、犬の餌茶碗だったのだ! もちろん警察は河野さんの無実をある時期からは知っていたはず。)

○今回も同じ手口で、証拠押収を発表したが、それらが事件とは無関係だったことを知っている人は少ない。警察が、偽りの情報を流し続けねばならなかったところに、「A少年は無実」という真実が浮かびあがっている。無実のA少年を犯人にするために、警察は不自然な行動をとらざるを得なかったのだ。

○正義のかけらもない話だが、警察の不祥事が続き、綱紀粛正のために新たに設けられた監査制度の監査役が、監査と称して温泉旅館で県警幹部と麻雀宴会を催す感覚なのだ。「図書券を賭けた」という嘘が通用すると思う感覚なのだ。その感覚の持ち主が、当時の兵庫県警のトップだったのだ。警察は、A少年の無実はもちろん知っていたし、最重要容疑者も特定していたはずだ。最重要容疑者が犯行を繰り返さず、誤認逮捕を愚弄する挑戦状を送ってこないことを知っているからこそ、A少年を逮捕したのだ。

○A少年の無実は間違いのない事実だ。前章で挙げたとても不可能なことを全てクリアしなければ、A少年は犯人にはなれない。ひとつやふたつは奇跡的にうまくいったにしても、全部をクリアするのは絶対に無理だ。逆にたったひとつでも無実の証明になることが、数え切れないほどあるのだから。

 以上が「A少年が犯人でないのなら、なぜその後、真犯人は何もしないのか?」という疑問に対する推察的回答だ。もちろんこれは、現在明らかになっている事実に基づいてはいても、ひとつの推理にすぎない。もしかすれば全くの考え違いかもしれないが、たとえそうであってもA少年の無実は変わらない。

付記                                 

○3月事件は情報が少なすぎて、完全に解明することはできない。

 しかし、一本の木に二個の実がついていて、そのうちの一個を取って調べてみたら、毒の実(冤罪)だった。もう一個の実は手の届かない高い枝についていても、それが毒の実と全く同じ色や形をしていたら、やはりそれは間違いなく毒の実なのだ。まして、3月事件も5月事件と同じ冤罪の臭いがしているのだから。いずれ、事情を知っている者の口から真相が語られる日が来るだろう。

○A少年の無実には揺るぎない確信がある。

 しかし、そのことを知ったふたりの被害児童の御両親の気持ちを思うと心は揺れる。愛しい子供の地上での生命を奪われた御両親にとって、「犯人逮捕」の報せがほんのわずかでも気持ちの救いになるように思うからだ。私も子の親ではあるが、被害児の御両親のお気持ちは、想像だにできない。我が子のごくごく簡単な手術でも、無事を祈らずにはいられない、それが親心だと知っているから。

 しかし、A少年は無実であり、それを分かって頂くしかないことも知っている。

 甲山事件では死亡した児童の家族が、Yさんに激しい憎悪を向けてしまった。無実の罪を着せられたうえに、言われなき憎しみまで向けられたYさんの苦しみはどれほどだっただろう。同時に、警察の意図的な情報によって、無実の人に憎しみを向けさせられた被害児の御家族も二重にお気の毒だ。

○あのふたりの、本当にかわいい、彩花ちゃんと淳君の御両親にお願いしたい。たとえすぐには受け入れ難くとも、受け入れられる分からだけでも、事実と真実を少しずつでも分かっていって頂きたいと思う。突然に地上を離れた天使のようなふたりのお子さんは、今は犯罪も偽りもない安らかな世界で、地上に真実と許しがもたらされることを願ってくれているように思えてならない。

 “A少年を抱きしめて、一緒に泣きたい”と書いておられる彩花ちゃんのお母さんの、悲しみと憎しみの向こうにある大きく深い愛は、きっと真実を求める心にもつながっていると信じるから。

 地上に生きてはいても、人生の全てを奪われたも同然のA君と、その御家族を暗い渕から救い出してあげて頂きたい。

 淳君のお父さんにも是非理解して頂きたいと思う。真実を知ることによって、A少年やその母親への誤解を解いてあげて頂きたい。御著書の執筆に際して、人権や少年法の本を読まれる方であるからこそ、この事件のことも是非調べて頂くようお願いしたい。被害者の知る権利として、「真実を明らかにするための」1億円の賠償請求の訴訟の経緯もある。その後、明らかになった真実に基づいてもう一度御検討頂きたいと思う。事件後3年が過ぎた日のコメントのなかに「事実を積み重ねることによって冤罪は防げる」と、あえて書いて下さっていた、その御見識を信じるから。事実を積み重ねて真実を求めれば、A少年は無実であり、彼とその家族は冤罪の被害者であることが必ずお分かり頂けると思う。

そして、A少年とは全く別の真犯人像が浮かびあがってくることも、分かって頂けると信じている。

 
 


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